要旨

オープンソースERP、Odoo Community版。ベルギーのビル・ゲイツと称されるCEO ファビアン・ピンカース(Fabien Pinckaers) - 要旨 - 章扉

ベルギー発のオープンソースERP「Odoo」が、2026年1月にGeneral Atlanticの追加出資により評価額70億ユーロ(約1兆1900億円)に到達した。創業者ファビアン・ピンカース(Fabien Pinckaers)は13歳でビジネス管理ソフトを売却した早熟の起業家であり、わずか6,000ユーロ(約102万円)の自己資金で2002年に創業、いまや17万社・180か国で使われるグローバル企業に育て上げた。本稿では「ベルギーのビル・ゲイツ」と称される人物像、Community版とEnterprise版の違い、そしてCapitalG・Sequoiaを含むシリコンバレーVCの受け止め方までを多角的に解説する。


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Odooとは何か――SAPやNetSuiteに挑む「組み立て式」業務OS

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Odoo(オドゥー)は、ベルギーのルーヴァン=ラ=ヌーヴ近郊に本社を置く統合型業務アプリケーション・スイートである。一言でいえば、企業の経営管理に必要な機能を一つの基盤上に「アプリ」として並べ、必要なものを組み合わせて使う"組み立て式の業務OS"だ。CRM(顧客関係管理)、会計、在庫管理、製造、人事、給与計算、ECサイト、POS、プロジェクト管理、文書管理、電子署名、IoT、Webサイトビルダー、マーケティング・オートメーションまで、コア・アプリケーションだけで70以上、コミュニティ製モジュールを含めると4万本以上が用意されている。ERP単体ではなく、業務に必要な周辺ツールまで一つのデータベースで完結させる「フル・ビジネス・スイート」である点が、SAP Business OneやOracle NetSuite、Microsoft Dynamicsとは異質な設計思想となっている。

Odoo公式とTracxn・PitchBook等の企業データベースによれば、180か国に展開し、有償顧客は17万社以上、累計ユーロでは500万〜700万ユーザーが日々利用している。2025年の請求額は約6億1900万ユーロ(約1052億円)、年間経常収益(ARR)で4億8000万ユーロ(約816億円)に達したと公表されており、2027年に請求額10億ユーロ(約1700億円)を目標としている。世界クラウドERP市場が2026年に762億ドル(約11兆8100億円)規模に拡大すると見られるなか、SMB(中堅・中小企業)セグメントにおいて、SAP・NetSuiteに対する最有力の挑戦者として位置付けられている。

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Community Edition と Enterprise Edition――「同じコアを二重ライセンスで提供する」モデル

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Odooの最大の特徴は、ソースコードを公開したCommunity Edition(コミュニティ版)と、商用ライセンスのEnterprise Edition(エンタープライズ版)を並走させているオープンコア戦略にある。Community版はLGPL v3で公開されており、誰でもGitHub(github.com/odoo/odoo)からクローンしてオンプレミスに自由に導入・改変・再配布できる。CRM、販売管理、会計(請求書発行レベル)、在庫、製造、購買、プロジェクト、ECサイト、POSなど基本的な業務機能はCommunity版でも揃っており、年間ライセンス料は一切発生しない。実際にCommunity版は1日あたり2万件以上ダウンロードされる「世界でもっともインストールされている業務アプリ集」となっている。

一方のEnterprise版は、Community版のコアを土台に40以上の有償モジュールと公式SaaSホスティング、モバイルアプリ、SLA付きの公式サポート、自動アップグレード、Studio(ノーコード・カスタマイズ)、Documents、Sign(電子署名)、銀行口座自動連携、OCRによるレシート・請求書スキャン、IoTゲートウェイ、VoIP、現場用Shopfloorアプリ、フル機能の会計(貸借対照表・損益計算書・連結会計)などを追加で提供する。価格は概ねユーザー1人あたり月19.9〜24ドル(約3,100〜3,720円)、加えて利用する有償アプリの数に応じた追加料金が乗る体系となっている。両者はいつでも切り替え可能で、Communityで導入したデータベースをEnterpriseに移行する経路も用意されている。ピンカースが2024年11月のCNBCインタビューで述べているように、「ERPは伝統的に高価で、SMEの実需を満たせない」という問題意識から、彼はオープンソースを"参入障壁を破る武器"として戦略的に使い続けてきた。

13歳で初めてのソフトを売った少年――ピンカースの生い立ち

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ファビアン・ピンカースは1979年、ベルギーで生まれた。複数のソースを統合すると、彼の幼少期は典型的な「商売好きの天才肌の少年」像で一貫している。13歳のとき、彼はベルギー・ブリュッセルの著名なタクシー会社「Les Taxis Verts」(緑のタクシー)向けに自前のビジネス管理ソフトを開発し、これを売却した。これが彼の起業家としての最初の取引である。同じ13歳の年に、ピンカースは生まれて初めて手に取った経営書としてトヨタ生産方式(TPS)に関する本を読了したと自ら語っている。後年Odooが在庫管理・製造モジュールで「カンバン」「リーン」などのトヨタ的思想を多用するのは偶然ではない。

興味深いことに、彼がインターネットを日常的に使うようになったのは大学入学後のことだったとmoneyinc.comの「10 things you didn't know about Fabien Pinckaers」が伝えている。つまり、自宅にネット環境が整わない時代に、書籍とBASIC/Pascal的な独学プログラミングで業務ソフトをゼロから書き上げた、いわば「オフラインで育ったプログラマー」である。彼は当時から「世界を制覇する」という子供じみた野望を公言していたとされ、こうした粗削りな野心が後年の「Odooを売らない、上場もしない」という独立志向につながっていく。家庭環境について本人は多くを語っていないが、フランス語圏ベルギー(ワロン地域)のごく一般的な家庭の出身で、特別な資本や人脈は無かったと20VC・KITRUMなどの取材で明かしている。

大学時代――Auction-in-EuropeでeBayを超え、TinyERPを書き始めた学生

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ピンカースは1997年、フランス語圏屈指の名門であるルーヴァン・カトリック大学(Université catholique de Louvain、UCLouvain)のルーヴァン=ラ=ヌーヴ校に入学する。専攻はコンピュータ・サイエンス、課程は「civil engineer in computer science(情報工学の理工系修士相当)」で、ベルギーで最も難関とされる5年制の理工系エンジニア課程である。フランス語版Wikipediaおよび彼自身の経歴ページによれば、修士号取得まで在籍したのは1997〜2004年。学生でありながら、彼はキャンパス内でも傑出した存在で、2000〜2001年に学生工学クラブ「Cercle Industriel a.s.b.l」の代表(President)を務め、2001〜2002年には「Groupement des Cercles Louvanistes」の財務担当を務めている。学業成績よりも、現実の課題を解くプロジェクト指向の能力で同期から高く評価されていたという。

学生時代に彼が動かしていた事業のスケールは、いまの基準で見ても驚異的である。第一に、Auction-in-Europe。ベルギーの美術品オンライン・オークション市場向けに自作したプラットフォームで、わずか2年でベルギー美術品市場の主導的地位を獲得し、月間1万5,000点のアート作品を売買するまでに成長した。当時のeBayベルギーよりも取扱点数が多かったとOdoo公式・TechFundingNewsが明記している。第二に、Openstuff。Linux関連グッズ(Tシャツ、書籍、周辺機器)を扱うオンライン小売店で、こちらも欧州を代表するLinux通販に成長し、2007年まで本人が運営を続けた。第三が、後にOdooとなるTinyERPである。要するに彼は学生時代に既に、独立した三つの異質なビジネスを並行運営する、二十代前半としては異常な実行力を持っていた。同窓生・元同僚たちが20VCポッドキャストやSerpentCSのインタビューで一様に語るのは、「彼の最大の武器は技術力ではなく、ソフトに対する宗教的執着」だったという証言である。

キャリアの一貫性――最初から最後までCEO兼コーダー

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ピンカースのキャリアは、外資コンサルや銀行・大企業を経由する「典型的なエリート起業家」とは正反対だ。彼は2002年3月にTinyERPを立ち上げて以降、別会社に雇われた経験は実質的にない。18歳で最初の会社を設立し、3名の従業員を雇用したと複数の伝記が伝えており、Odoo前史としてもAuction-in-EuropeとOpenstuffの二社を運営していた。Odoo一社に集中し始めて以降は、創業から24年経った現在もCEOであり続けている。

特異なのは「コードを書き続けるCEO」であるという点だ。彼はGitHubのodoo/odooリポジトリに自らコミットを送り続けており、画像処理、データベースインデックス処理、CRM・会計・MRP・eCommerceなど中核モジュールのパフォーマンス改善やバグ修正に直接手を入れている。KITRUMのプロフィール記事は「多くのテックCEOが製品開発を外注するなか、ファビアンはいまも開発者と肩を並べて時間の半分を製品に費やしている」と評している。同僚・部下からの評価として共通して挙げられるのは、「自律と信頼を徹底的に重視する」「肩書を意図的に廃した」「派手な自己プロデュースを嫌う」というプロフェッショナル像である。彼のLinkedInも、自己ブランディングではなく機能リリース・採用・拠点拡張の告知ばかりが並ぶ、極めて素っ気ない運用となっている。ピンカースは「製品を作る人間は、製品の中で生きるべきだ」と20VCで語っており、休日も製品のことを考えていることを公言してはばからない。10年間無給で働き続け、創業から7年間は毎日13時間・週7日働きながら、結婚し家庭を持ったと地元紙Moustiqueは伝えている。

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創業物語――6,000ユーロと未払いの10年が生んだ70億ユーロ企業

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2002年3月、当時23歳でルーヴァン大学修士課程の最終盤にあったピンカースは、自宅で「TinyERP」と名付けた小さなプロジェクトをスタートさせた。元手は学生時代のアルバイトと前述の三社からの貯蓄6,000ユーロ(約102万円)のみ、外部資金は一切受けていない。彼が見ていた市場機会は明快だった――SAPやOracleが寡占する基幹業務ソフト市場は、月数百万円のライセンス料と数千万円のSIコストが当たり前で、世界の99%を占める中小企業は誰一人として使えない。「彼ら全員にとっての"使えるERP"を、無料で配り、必要な企業にだけサポート料金を頂く」という、現代のオープンコア戦略を彼は最初から構想していた。

当初の数年間は文字通り綱渡りだった。彼は10年にわたり自分には給料を払わず、TinyERPの全売上を採用と開発に注ぎ込む。2008年にはOpenERPへとブランド変更し、機能も会計・在庫・製造へと拡張していくが、無料の自由ソフトを配りながらどうやって稼ぐのかという疑問は投資家からも繰り返し向けられた。TechFundingNewsの取材によれば、Odooは「フリー版が普及するほど稼げない」という資金繰り危機に何度も直面し、その都度Enterprise版(有償の付加モジュール+公式サポート)の領域を広げて立て直してきた。2014年には会社名をOdooに変更。これは、当時の世界トップ10インターネット企業の社名に含まれる「O」の数と企業評価額に相関があるという半ば冗談めいた発見から、自ら社名にOを多く詰め込んだという逸話があり、彼の遊び心とブランディング感覚を象徴するエピソードとして繰り返し語られている。2014年に初の本格的な外部資金(Summit PartnersによるシリーズBで1,000万ドル=約15.5億円)を受け入れた後、Odooは2024年11月までの実に約10年間、新規の一次資金(プライマリーの増資)をまったく必要としない自己資金経営を続けた。CNBCが報じたピンカース本人のコメント「我々は現金ベースで黒字、年率50%で成長している。一次資金を調達する必要がない」が、この長期トレンドを端的に示している。

機能ごとの解説と活用事例――「請求書から工場現場まで」一気通貫

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Odooの強みは、個々のアプリの完成度よりも「全部のアプリが同じデータベースを共有する」アーキテクチャにある。CRMで作成したリード情報がそのまま販売管理の見積もりになり、見積もり承認と同時に在庫・購買・製造の所要量計画に反映され、出荷時には会計の売上計上が自動で立つ。販売・購買・在庫・会計・CRMはすべてリアルタイム同期のため、部門間で「数字が合わない」現象が原理的に発生しにくい。これは別ベンダーのSaaSをZapierで繋いだ環境では再現できない統合体験で、CapitalGのアレックス・ニコルス(Alex Nichols)が「100か国以上の企業に使われている理由」として強調する点でもある。

CRM・販売モジュールは、リード自動スコアリング、AIによるリード調査、メール自動応答、見積もり〜契約管理までを一画面でカバーする。会計モジュールは、銀行口座の自動同期、OCRによるレシート読み取り、税務申告、貸借対照表・損益計算書・キャッシュフロー報告を自動生成し、ISO20022対応とWhatsApp督促機能まで備える。在庫モジュールは、バーコードスキャン、ロット・シリアル追跡、リアルタイム評価、AIによる発注点推奨を内蔵し、複数倉庫・複数通貨にも対応する。製造モジュールは、BOM管理、作業工程計画、品質チェック、Shopfloorアプリによる現場端末対応を統合し、リーン生産方式・カンバン方式・ジョブショップを並行運用できる。これらに加え、Webサイトビルダー、ECサイト、POS、人事、給与計算、プロジェクト管理、フィールドサービス、IoT、文書管理、電子署名が同一プラットフォーム上に並ぶ。

活用事例も世界中の多種多様な業界に広がっている。シンガポールの印刷・物流大手Markonoは、断片化したシステムをOdooで一本化して製造工程を可視化。マレーシアの家庭用品ブランドTLC HousewareはECモールと実店舗、製造、会計、Studio(カスタマイズツール)を統合し、需要予測から納品計画、会計まで一画面で運用している。米国の老舗鉄鋼メーカーはレガシーシステムから移行し、複数工場・複数製品ラインを単一の真実の情報源(single source of truth)に統合した。中東のカタール投資庁(QIA)傘下事業もOdooで在庫管理・サプライチェーンを刷新したとa1consulting・bistasolutionsなどの導入事例集が報じている。日本でも建設業、製造業、ECなどでの導入事例が増加しており、世界的なローカライズの広さ(インドのGST、欧州の電子インボイス、各国の税制対応)が決定打となるケースが多い。

シリコンバレーVCの受け止め方――「年率40%で10年成長したヨーロッパSaaS」への異例の評価

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シリコンバレーのVCにとって、長らくOdooは「最も知られていない最高の会社(the best company you've never heard of)」だった。ヨーロッパ発、しかもブリュッセル郊外の田園地帯から、年間40%以上の成長を10年以上にわたって維持し、しかも一次資金を必要としない自走型キャッシュフローを生み出す企業は希少すぎて、米VCのレーダーに長らく載らなかったというのが正直なところである。状況が一変したのは2024年11月、CapitalG(Alphabetのグロース投資ファンド)とSequoia Capitalがリードを取り、BlackRock、Mubadala、HarbourVest、AVP、Alkeonまで参加する5億ユーロ(約850億円、約5億2,700万ドル)の二次取引(セカンダリー)を成立させ、Odoo評価額を50億ユーロ(約8,500億円)に押し上げたときだった。CapitalGのアレックス・ニコルス(Alex Nichols)は「Odooの強力かつ使いやすいアプリ群は、100か国超・あらゆる業界・1人から数千人規模までの企業の心を掴んだ。20年に及ぶチームの献身と長期思考が、強固なパートナー・貢献者・利用者のコミュニティを育てた」とSummit Partners・Odoo公式リリースに寄せている。Sequoia のアンドリュー・リード(Andrew Reed)は「Odooは長期的にSMBソフトウェア市場を変革し、巨大な顧客価値を生み出すポテンシャルを持つ。我々はファビアンとOdooチームと長期パートナーとして組めることを誇りに思う」と語った。20VC(The Twenty Minute VC)でホストを務めるハリー・ステビングスは、ピンカースを「お金に興味がない億万長者の創業者」と紹介し、Odooのケースを「シリコンバレーの常識を覆す稀有な成功例」と評している。

シリコンバレー側からの評価軸は、概ね三点に整理できる。第一に、年率40〜50%の成長を10年以上維持し続けているという、米国のグロースSaaSにも稀な持続成長性。Notion、Stripe、Datadogのような銘柄と比較されることが多くなった。第二に、SMB(中小企業)向けのフル業務スイートで、競合のNetSuiteやSAP Business Oneを価格と導入容易性で凌駕している点。クラウドERP市場が2026年に762億ドル(約11兆8100億円)規模に達する中、Odooは「下から市場を食い上げる」ポジションを取れる数少ない存在と見なされている。第三に、AI時代との親和性。Odoo 19(2025年9月リリース)以降、ChatGPTとGeminiを切り替えて使えるAIエージェントが全モジュールに組み込まれ、自然言語によるデータベース問い合わせ、レコードの自動作成・更新、メール下書き、Webサイト自動生成、会議文字起こしまでが標準機能化した。さらに、欧州顧客の要望を受けてMistral対応も2026年9月の次期版(Odoo 20)に向けて準備が進められている。汎用LLMを"操作の入り口"として既存業務データに直接アクセスさせるアーキテクチャは、米VCが「SaaSのコパイロット化」と呼ぶ次世代潮流の最前列に位置する。

€7B評価への到達と、各紙の報道トーン

オープンソースERP、Odoo Community版。ベルギーのビル・ゲイツと称されるCEO ファビアン・ピンカース(Fabien Pinckaers) - €7B評価への到達と、各紙の報道トーン - 章扉

2026年1月16日、General Atlanticは2回目のOdoo投資を発表した。ワロン地方の公的投資機関Wallonie Entreprendreから追加で少数株式を取得し、ディール後の評価額は70億ユーロ(約1兆1900億円)に到達した。General Atlanticは2023年に初出資し、今回の追加投資はその第二弾という位置付けである。General Atlanticの欧州プリンシパル、アンドレア・カラブロ(Andrea Calabro)は「Odooは世界で最もエキサイティングなソフトウェアベンダーの一つだ。この規模で、ほぼ全ての国で、これほどの成長を維持している企業は稀である」とコメントしている。Wallonie Entreprendreのダミアン・ルルティ(Damien Lourtie)CFOは、同社が今後も大きな成長余地を持つと評価しつつ、取引後も3%の持分を保持すると明言した。なお、ピンカース本人は自身の保有株を一切売却しておらず、これは過去のセカンダリー取引でも一貫している。

報道トーンを比較すると、TechCrunchは「ERPで気を吐くオドゥー」、CNBCは「ほぼ知られていないSAPの対抗馬」、The Next Webは「ベルギーが世界クラスのSaaSハブに台頭」、Bloomberg/Reutersは「欧州ソフトウェア勝者の象徴」、AltAssets・Private Equity Insightsはディール・ロジックの専門紙的視点から、それぞれ別の角度でOdooを取り上げている。ベルギー国内紙Moustiqueは「ベルギー史上最年少のセルフメイド・ビリオネア」のヒストリーを大きく扱い、ピンカースの個人ストーリーを称揚した。Forbesは2023年から彼を「ベルギー最年少のビリオネア」として掲載しており、リアルタイム長者番付では2026年5月時点で純資産およそ32億ドル(約4,960億円)、世界933位前後・ベルギー4位として記録されている。一方、2009年にベルギーのビジネス誌Trends Tendancesが彼を「新しいビル・ゲイツはベルギー人だ(The New Bill Gates is Belgian)」と評した記事は、いまも繰り返し引用される。これは単に経歴の似た若き天才プログラマーCEOというだけでなく、「オープンソースを武器に既存巨人へ挑む」という構造的類似性を捉えた呼称だった。

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インド・アジア戦略と、地方発のグローバル経営

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Odooの成長戦略のなかでも、シリコンバレーの目を引きつけたのが「インド戦略」だ。ピンカースは2023〜2024年頃、家族とともに1年間インドに移住し、自らグジャラート州ガンディナガル(Gandhinagar)に拠点を置いた。「創業者の質は立地より重要だ」と語り、ムンバイやベンガルールではなく、あえてティア2都市のガンディナガルに本格的なオフィスを構え、現地で人材を採用・育成する道を選んだ。現在Odoo Indiaは約800人(一部報道では1,000人超)の規模に達し、インドGST・電子インボイス対応、各国向けの会計ローカライズ、ASEAN・中東向けの実装サポートを担う中核拠点となっている。ベルギー本社・ワロン地方の田園地帯から始まり、ガンディナガルに第二の頭脳を置くという「地方発のグローバル経営」は、シリコンバレー的な「テック・ハブ集積」とは対照的なモデルとして注目を集めている。

雇用面では、Odooは2024年初頭の4,300人から急拡大し、2026年3月時点でTracxn調べで8,300人超、社内目標として2026年中に1万人到達を掲げている。本社所在地は依然としてベルギー・ルーヴァン=ラ=ヌーヴ近郊(具体的にはGrand-Rosière)であり、シリコンバレーやニューヨークに本社を移す気配はない。ピンカースは20VCで「ベルギーの田舎にいることは、競合する誘惑や雑音から我々を守ってくれる」と語り、これがOdoo独特の長期主義を維持する源泉になっていると説明している。

次の動き――2026年9月のOdoo 20と、上場しない選択

2026年後半に向けて市場が注目しているのは、9月24〜26日にベルギーで開催される年次イベント「Odoo Experience 2026」と、そこで発表されるOdoo 20である。複数のOdooパートナー企業のリリース・ノート予測によれば、Odoo 20の中心テーマは「エージェント型業務OS(agentic business OS)」となる見込みで、AIエージェントによる自律的なタスク実行、自然言語によるレコード作成・更新・分析、AI連動の画像/Webサイト自動生成、SEO自動最適化などが標準機能として組み込まれる方向で開発が進む。利用可能なLLMは現状のChatGPT・Geminiに加え、欧州顧客の要望を受けてMistralの追加が2026年5月時点でロードマップに乗っており、これにより欧州内データ主権要件にも応えやすくなる。

一方で、シリコンバレーが期待する「Odoo IPO」のシナリオはいまだ視界に入ってきていない。ピンカースは2024年11月のCNBCインタビュー以降一貫して「上場の必要はなく、株式売却も予定していない」と表明しており、Sequoia・CapitalG・General Atlanticといった主要投資家もこれを支持している。むしろセカンダリー取引で従業員と初期投資家にリクイディティ(換金性)を提供し、創業者の長期支配を維持するという、シリコンバレーで近年再評価されつつある「永続的非公開モデル(permanent private model)」のヨーロッパ代表例として、Odooは語られるようになった。次の評価額イベントが、新たな二次取引なのか、別のクロスオーバー・ファンドの参加なのかは現時点で不透明だが、2027年に請求額10億ユーロ(約1700億円)を達成した時点で評価額100億ユーロ(約1.7兆円)超の領域に入る可能性は高い、というのが複数のシリコンバレー投資家の共通見立てである。「ベルギーのビル・ゲイツ」と呼ばれた青年が築き上げた、上場しないグローバル・ソフトウェア帝国は、当面ピンカース自身のペースで進化し続けるだろう。


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