ペンに話しかけると、企画書が紙になって出てくる

ペン先を押しながら、イベントの企画書を作ってほしいと話しかける。ほどなく画面に企画書ができあがり、そばのプリンターから紙になって出てくる。
中国のアリババが9月下旬に初めて公開したパソコン「Qwen Book」の実演の一場面だ。見た目は、磁石でキーボードにくっつくタブレットである。キーボードを外せば1枚の板として持ち歩け、付ければノートパソコンになる。キーボードには、押すとすぐにAIを呼び出せる専用のボタンと、AIがいま何に取り組んでいるかを映す小さな表示画面「AI Island」が付く。本体の背中には小さな丸い画面と2つのカメラがあり、丸い画面はAIが作業中であることを外に知らせる。付属のペンはマイクを兼ねていて、書くだけでなく、話しかけて仕事を頼める。
アリババが描く使い方は、こうだ。仕事を頼んで、ふたを閉じる。AIは裏側で作業を続け、次にふたを開けたときには結果が待っている。画面が消えても、別のアプリに切り替えても、エージェントの仕事は止まらない。外出先ではスマートフォンで進み具合を確かめ、AIが用意した修正案に承認を出すだけでいい。
このパソコンの中身をめぐって、もう一つの発表があった。アリババのクラウド部門であるアリババクラウドが、Linuxの一種「Omarchy」を支える財団に、3年間で300万ドル(約4億7,000万円)を出すと決めたのだ。Omarchyを作ったのは、デンマーク出身のプログラマー、デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン氏、通称DHHである。ShopifyやGitHubの土台にもなったウェブ開発の定番ツール「Ruby on Rails」の生みの親として、世界中の開発者に知られている。両者は、OmarchyをQwen Bookのための理想的な「エージェントOS」に仕上げるため手を組む。日本のGIGAZINEは、アリババがQwen Book向けに最適化したOmarchyを、OSとして採用する予定だと伝えた。
AIは、チャットの画面で質問に答える段階から、パソコンを自分で操って仕事を片付ける「エージェント」の段階に入った。そのエージェントが、どの機械に住み、誰のルールで働くのか。マイクロソフト、グーグル、クアルコム、そして中国の大手が、その「住みか」を取り合い始めている。アリババの答えは、OSそのものを、AIのための「ハーネス」、つまり馬具に作り替えることだった。
Qwen Bookとは――OSを「AIの馬具」に作り替える

馬がどれほど力持ちでも、馬具がなければ荷車は引けない。手綱がなければ、どこへ走り出すかも分からない。AIのモデルが馬だとすれば、ハーネスは、その力を仕事につなぎ、同時に暴走させないための道具一式だ。2026年のシリコンバレーでは、どのモデルを使うかより、モデルの周りに何を組むかが仕事の出来を決める、という考え方が広がった。AnthropicのClaude CodeやOpenAIのCodexのように、AIに道具と作業場を与える仕組みこそが、競争の主戦場になっている。11月にサンフランシスコで開かれる開発者会議QConでは、「ハーネスこそが新しいOSだ」と題した基調講演が予定されているほどだ。
アリババが掲げる「OS as Harness」は、このハーネスを個々のアプリではなく、OSそのものに埋め込む発想である。Qwen Bookは9月22日、ハワイで開かれた米クアルコムのイベントに展示され、23日には、アリババが地元の杭州で開いた年次イベント「Apsara Conference」で正式に披露された。公式サイトは、この仕組みを「画面」「文脈」「能力」「実行環境」の4つで説明している。中国のIT媒体ifanrの記事をもとに、かみ砕くとこうなる。
1つ目の「画面」は、画面そのものがAIへの指示の窓口になることだ。ウェブページや書類、アプリの中の一部分を、ペンで丸く囲む、指し示す、書き込む。それだけでAIは、何の話をしているのかを理解する。スクリーンショットを撮って貼り付け、事情を一から説明し直す手間は要らない。
2つ目の「文脈」は、OSが記憶を持つことだ。取り組んでいる案件、資料、人間関係、操作の履歴をOSが覚えておき、アプリや日にちをまたいで仕事を続けられるようにする。
3つ目の「能力」は、あらゆるものをエージェントの道具に変えることだ。アプリやクラウドのサービスだけでなく、プリンターやネットワークにつないだ記憶装置まで、エージェントが見つけ、呼び出し、組み合わせられる部品として並べる。
4つ目の「実行環境」は、エージェント専用の作業場を、画面の裏側に用意することだ。ふたを閉じても仕事が続くのは、このためである。
公式に紹介された例では、スライドの直しをペンに話しかけて頼むと、Qwen Bookがクラウドからファイルを探し出し、該当するページを見つけ、編集ツールを動かして修正案を用意する。持ち主は移動中にスマートフォンで中身を確かめ、承認すればよい。
頭脳は、手元とクラウドの二段構えだ。ifanrによれば、本体では40億パラメーター規模の小型モデルが動き、ネットにつながっていなくても簡単な仕事はこなす。込み入った推論や文章づくりは、クラウド側の「Qwen3.8-Max」や「Qwen3.8-Flash」に回す。Qwen3.8-Maxは、パラメーター数が2.4兆に達する巨大なモデルで、アリババは8月、その中身にあたる重みまで無償で公開した。
チップについてアリババは、スマートフォンと同じARM系と、一般的なパソコンのx86系の両方に対応し、最初の製品はARM版になると説明している。ハワイで実機に触れた米Gizmodoの記者によれば、中に入っていたのは、クアルコムのスマートフォン向け最上位チップ「Snapdragon 8 Elite Gen 5」だった。協力企業には、クアルコムとインテルが並ぶ。
アリババの製品ページは、Linux、Windows、Androidにまたがる2,000以上のツールと、1,000社を超えるパートナーをうたう。オフィスソフトのWPS、決済のアリペイ、ロジクールの周辺機器などだ。ただ、複数のOSのアプリをどうやって動かしているのかとGizmodoの記者が尋ねても、説明役の担当者は答えられなかったという。
作ったのは、アリババクラウドで「無影(むえい)」と呼ぶクラウドPC事業を手がけてきた部隊である。クラウドPCとは、パソコンの中身をデータセンターに置き、手元には画面だけを送る仕組みのことだ。無影は、AIエージェントが安全に作業できるクラウド上の作業場「AgentBay」も提供してきた。中国の経済メディアLatePostによれば、Qwen Bookのチームは約150人。OSの部分は無影とアリババクラウドのOSチームから人を集め、ハードウェアには大手スマートフォンメーカーから人材を引き抜いた。プロジェクトが動き出したのは、今年4月ごろだという。
杭州の発表の場に立ったアリババクラウドの張献濤(ちょう・けんとう)副社長は、Qwen Bookを「ハードウェアの道具から、トークンで動き、成長し続けるエージェントの器へ」進化させたいと語った。トークンとは、AIが文章を読み書きするときの単位で、クラウドのAI利用料を数える物差しでもある。この一言は、後で見るアリババの商売の勘どころに直結している。
価格や画面の大きさ、電池の持ちといった仕様は、まだ明かされていない。アリババは10月31日まで、記念版を無償で使える「体験官」を100人募り、最初の体験プログラムを12月に始める。LatePostによれば、完成版の発売は2026年末から2027年初めになる見通しだ。

Omarchyとは――Railsの生みの親が作った「おまかせ」Linux

DHH氏は、2004年にウェブ開発の枠組み「Ruby on Rails」を生んだプログラマーで、プロジェクト管理ソフトのBasecampなどを手がける米37signalsの共同オーナーでもある。長年のMac愛用者だったが、アップルのやり方を批判してMacを離れ、Linuxに移った。そして2025年6月、自分好みに組み上げたLinuxを、誰でも入れられる形で公開した。それがOmarchyだ。
名前の頭の「Oma」は、日本語の「おまかせ」から取られている。土台は「Arch Linux」という種類のLinuxだ。部品を一つずつ自分で選んで組み上げる、上級者向けのLinuxとして知られる。自由度は高いが、手間がかかる。Omarchyは、その組み立てと味付けをDHH氏が「おまかせ」で済ませ、完成品として配る。寿司屋のおまかせと同じで、出された一式をそのまま楽しんでもいいし、好みに合わせて替えてもいい。
使い始めは驚くほど速い。USBメモリーに書き込んで起動し、5つの質問に答えるだけで、速いパソコンなら35秒、たいていは2分以内にデスクトップが立ち上がる。画面では、ウィンドウが重ならず、タイルのように自動で並ぶ。キーボードだけで、アプリの起動から画面の切り替えまで済ませられる。色のテーマを1つ選べば、ターミナルと呼ばれる文字だけの操作画面からエディターまで、全体の配色が一度に変わる。手をマウスに伸ばしたくないプログラマーに、この速さと統一感が刺さった。
転機は、8月14日に出た最新版「Omarchy 4」、愛称クアトロだ。AIエージェントを、後から入れるおまけではなく、OSの標準装備として扱い始めた。初めて起動すると、Claude CodeやCodex、Geminiといったコーディング用のエージェントから、普段使うものを1つ選ぶよう促される。アプリが落ちれば、エージェントが記録を読んで原因を調べる。設定はすべて文字で書かれたファイルなので、こう変えたいと頼めば、エージェントが書き換えて応える。中国向けの公式サイトは「機能の追加も、設定の調整も、うっかりはまった落とし穴も、全部AIとのノリで片付く」とうたう。どのエージェントを使うかは利用者が決め、選ばなければエージェント機能は動かない。DHH氏によれば、クアトロ自体も、ほぼすべてをエージェントが書いた。
クアトロには、パソコンメーカーや贈り主が、新しい持ち主のためにあらかじめ機械を準備しておく機能や、出荷時の状態に戻す機能も加わった。最初から入れて売る、という使われ方を見込んだ作りである。
勢いは数字にも表れている。公式サイトによれば、インストール用のイメージは最初の1年で123万回ダウンロードされた。開発の拠点GitHubでは約4万4,000の「スター」を集め、537人が改良に加わる。9月15日からは独自に調整したLinuxカーネル、つまりOSの心臓部を標準にした。9月18日には、クアルコムのチップを積んだノートパソコンへ移植する専門チーム「Omarchy Dragon」の発足を告げている。アリババとの提携発表は、その4日後だった。
Omarchyは、DHH氏が書いた10カ条の「信条」を掲げる。その一つが「エージェントを歓迎せよ」だ。エージェントの時代は、マイクロプロセッサー以来の大転換だと言い切る。もう一つが「機械を所有せよ」。料金所も門番もなく、規約を勝手に変えるプラットフォームもない、完全に自分のものになるコンピューター、という約束である。この2つの条文は、アリババとの関係を考えるうえで鍵になる。

1カ月で2,170万ドル――財団に集まったお金と、アリババが得たもの

Omarchyの運営母体として、8月21日に「Omacom財団」が発足した。初日に集まったのは800万ドル(約13億円)。1人100万ドル(約1億6,000万円)ずつを出した8人の顔ぶれは、シリコンバレーの経営者名簿のようだった。ネット通販の基盤を提供するShopifyのトビ・ルトケCEO、決済のStripeを率いるパトリック・コリソンCEO、パソコン大手デルのマイケル・デル会長、ツイッターの共同創業者ジャック・ドーシー氏らである。その後、Dropboxの共同創業者や、個人のパソコンで動くAIエージェント「OpenClaw」の作者ピーター・スタインバーガー氏も加わり、100万ドルを出した個人は12人になった。
AI企業は、お金の代わりにAIの利用枠、つまりトークンを差し出した。メタの超知能研究所が150万ドル(約2億4,000万円)分、OpenAIが15万ドル(約2,400万円)分だ。クラウド事業者のDigitalOceanは3年で300万ドルを約束した。そして9月22日、アリババクラウドが同じく3年で300万ドルを約束し、支援の総額はおよそ2,170万ドル(約34億円)に達した。発足から、わずか1カ月での出来事である。集めた資金は3年かけて使う計画で、毎年400万ドル(約6億3,000万円)を超える額が、開発者の雇用やサーバー、Omarchyが頼るオープンソースの各プロジェクトに回る。OSの心臓部であるカーネルや、デスクトップ画面づくりの責任者も、すでに雇い入れた。
アリババとの取り決めは、お金だけではない。中国の利用者が手間なくOmarchyを使えるよう、アリババが国内向けの配信網やサーバー、ウェブサイト、交流会を整える「Omarchy China」を立ち上げる。OmarchyをQwenのモデルですぐ使える状態に調整し、中国の人々が日々使うサービスともつなぐ。そのうえで、Qwen Bookにとって理想のエージェントOSを共同でつくる。
DHH氏の発表文には、アリババ側の説明も載っている。Qwen BookのシステムはARMとx86の両方に対応し、最初の製品はARM版になる。中には、電力をあまり使わない「エージェント・エンジン」と、仕事の文脈を途切れさせない「継続コンテキスト・エンジン」を組み込んだ。そして「今後、Omarchyとともに、さらなる革新を探りたい」と結んでいる。DHH氏自身は、目指す姿を「人とエージェントが一緒に働き、それでいて主導権は持ち主が握り続ける、美しくて楽しいLinuxデスクトップ」と表現した。
変化は、もう開発の現場に表れている。GitHubには9月以降、画面の中国語化や、中国語入力を最初から使えるようにする提案、中国国内のミラーサーバーを使う「地域設定」の追加、アリババのコーディング用AI「Qwen Code」を既定のエージェント候補に加える提案が相次いだ。中国向けのサイトも開設されたが、中国国内から開くと表示に6秒以上かかるという報告が寄せられている。日本語入力を最初から使えるようにする提案も出ている。

各紙・各サイトの報じ方――「早期の試し球」と「持ち主の不在」

中国メディアの論調は、期待と冷静さが半々だ。内部事情に詳しいLatePostは、Qwen Bookを「早期の試し球」のような製品だと伝えた。ifanrは「アリババとグーグルが同時にパソコンを作り直した。エージェントPCが本当にやって来る」と見出しを打った。この2年のAIパソコンは、AI用の演算回路を足し、呼べばすぐ応えるチャット助手を入れただけだったが、今回は両社ともOSの奥まで手を入れた、という評価である。そのうえで、会場の実演に登場したアプリは、アリババの業務アプリ「DingTalk」とクラウドストレージ、WPSなどごく一部で、他社のアプリがつながるには対応作業が要ると指摘した。
テックメディアのHuxiuに載った記事は、さらに踏み込んだ。モバイルの時代を経て、利用者の仕事の文脈になるデータの大半は、他社のアプリの中にある。エージェントがアリババ製の道具しか呼び出せないなら、Qwen Bookは「アリババが仕立てた事務所」に近く、利用者はこれまで使ってきたソフトの中で仕事ができない、というのだ。36Krは、単なるタブレットではなく、AI端末の形を業界全体で探る試みだと位置づけた。
米国で最も辛口だったのはGizmodoだ。実機を試したカイル・バー記者は、このパソコンを「自分の計算能力を所有できなくなる未来という、PC好きの恐れを体現したもの」と評した。何でもクラウドのAIにやらせるのなら、そもそもノートパソコンを持つ意味があるのか、とも問うている。中国の経済誌、財新は「チップからノートPCまで」と題し、Qwen Bookを、半導体からクラウド、端末までを自前でそろえるアリババの戦略の一部として描いた。
Omarchy自体への評価も、もともと割れている。英The Registerは、財団の発足を「本格的な後ろ盾を得た」と報じつつ、セキュリティを厳しく批判する声も紹介した。Linux専門メディアのIt's FOSSは、AIエージェントを標準にしたクアトロを、Linuxの世界がAIに慎重ななかでの大きな賭けだと書き、「ターミナルとブラウザーと、ちゃんと動くUSBがあればいい」とアップグレードを見送る利用者の声も載せた。米Runtime Wireは、財団の資金の使い道や統治の仕組みが十分に開示されていないと指摘している。
エンジニアが集まる掲示板Hacker Newsでも、意見は真っ二つだ。財団発足のスレッドには、「去年いちばん良かった決断の一つがOmarchyへの乗り換えだった」「macOSにやっと、開かれた本気の競争相手が現れた」という声が並ぶ。一方で、「AIに書かせたLinuxに、金持ちが資金を出しているだけではないか」「設定スクリプトの集まりに800万ドルも要るのか」という冷ややかな書き込みも多い。アリババの参加を伝えたスレッドでは、Ruby on Railsには集まらなかった大金が、なぜここに集まるのかといぶかる声も出た。
投資家の反応は、さらに素っ気ない。ゴールドマン・サックス、シティ、UBSは、そろってアリババ株の買い推奨を維持した。ただし議論の中心は、2032年までにデータセンターの電力規模を20ギガワット超に広げる計画と、それが生むクラウド売上高の試算で、Qwen Bookはほとんど話題になっていない。アリババは4月から6月期、AIへの投資がかさんで純利益が前年同期から76%減り、8月には香港市場で約100億ドル(約1兆6,000億円)の新株を発行して資金を手当てした。株主の目がAIの稼ぎ頭であるクラウドに向くのは当然で、端末はまだ脇役という扱いである。
シリコンバレーの投資家の目で読む――狙いは端末ではなく「トークンの蛇口」

シリコンバレーには、「補完財をタダにせよ」という古い格言がある。自分の本業を引き立てる周りの製品を、安く、あるいは無料にしてしまえ、という教えだ。グーグルがAndroidを無償で配り、検索と広告で稼いだのが典型例である。
アリババの動きは、この教科書どおりに見える。モデルは、重みまで無償で公開する。OSは、他人が作るオープンソースのLinuxに資金を出して育てる。そして稼ぐのは、クラウドで売るAIのトークンと、アリペイの決済と、DingTalkのような業務サービスだ。張副社長の「トークンで動くエージェントの器」という言葉は、Qwen Bookの正体を言い当てている。これは端末というより、トークンを流し続ける蛇口なのだ。アリババクラウドの霍嘉(かく・か)副社長も、機能ではなく成果に対価を払ってもらう「結果課金」の形に期待を示している。
シリコンバレーの側から見ると、アリババのモデルはすでに足場を築いている。米大手VCアンドリーセン・ホロウィッツのマーティン・カサド氏は英エコノミスト誌に対し、オープンなモデルを使って売り込みに来る米国のスタートアップのうち、最大で8割が中国製のモデルを土台にしていると語った。民泊大手エアビーアンドビーのブライアン・チェスキーCEOも昨年、顧客対応のAIでQwenを多く使っていると明かし、「とても良く、速くて安い」と評している。アリババが次に狙うのは、世界の開発者が毎日向き合うデスクトップの中で、最初に選ばれるAIになることだ。Omarchyのエージェント選択画面にQwenが並ぶかどうかは、小さいが象徴的な物差しになる。
OSの上でエージェントの住みかを取り合う争いには、世界の大手が勢ぞろいしている。マイクロソフトは昨年11月、Windows担当の幹部が「Windowsはエージェント型のOSに進化しつつある」と投稿し、利用者から猛反発を浴びた。グーグルは、Androidを土台にした新しいノートパソコンの規格「Googlebook」を、エイサーやデル、HP、レノボなどと立ち上げ、米国で10月4日に発売した。クアルコムのクリスティアーノ・アモンCEOは昨年、「新しい使い方にOSは要らない。要るのはエージェントだ」と言い切った。中国では、スマートフォン大手のオナーが、アリババと共同開発したエージェントの仕組みを載せ、「業界初のシステム級エージェント・ハーネスOS」をうたう新機種を9月28日に発表した。
ベンチャー投資家も、この層に賭けてきた。元Stripe最高技術責任者らが創業した米スタートアップ「/dev/agents」は、エージェントのためのAndroidをつくると掲げ、創業まもない段階で5,600万ドル(約88億円)を集めた。評価額は5億ドル(約790億円)で、出資を主導したのは欧米で活動するインデックス・ベンチャーズと、グーグルの親会社の投資部門CapitalGだ。英ロンドンのスマートフォン新興Nothingも昨年、「AIネイティブ」の基盤づくりを掲げて2億ドル(約320億円)を調達した。米タイガー・グローバルが主導し、欧州のハイランド・ヨーロッパやEQT、クアルコムの投資部門も名を連ねた。
ただし投資家は、AI端末の墓場も覚えている。スマートフォンに取って代わると期待された米ヒューマンの胸に付けるAI端末は売れず、会社は昨年、事業の大半をHPに1億1,600万ドル(約180億円)で売り渡した。新しい形の機械を一から根付かせるのは、それほど難しい。Qwen Bookが、誰もが使い慣れたパソコンの形を選び、勝負どころをOSに置いたのは、この教訓に沿った選択と読める。
アリババにとって、年100万ドルという拠出額は誤差のようなものだ。8月の新株発行で集めた資金の、およそ1万分の1にすぎない。その出費で、世界の開発者が熱を上げるOSとの共同開発、Qwenを最初から使える状態、そしてシリコンバレーの開発者文化への入り口を手に入れた。株を取るわけでも、経営を握るわけでもない。しかも同じ財団には、メタとOpenAIもトークンを出している。競争相手同士が同じLinuxにお金を出す、いわば中立地帯である。

強み――モデルから決済まで、自前でそろう

Qwen Bookの最大の強みは、アリババが自前でそろえている部品の多さにある。AIのモデル、それを動かすクラウド、傘下の半導体設計会社T-Headのチップ、決済のアリペイ、業務アプリのDingTalk、そしてアリババの発表で月に3億人が使う対話AIアプリ「Qwen」。モデルから財布まで一つの会社で完結する例は、世界でも数えるほどしかない。エージェントに仕事を頼んだとき、裏で呼び出される道具の多くを、アリババは自分で持っている。
2つ目は、無影が積み上げてきたクラウドPCの経験だ。パソコンの中身をデータセンターで動かし続ける技術は、ふたを閉じても仕事を止めないエージェントと相性がいい。重い処理はクラウドへ、簡単な処理は手元の小型モデルへ、という振り分けも、クラウドPCの延長線上にある。
3つ目は、オープンソースの速さと正統性である。9月以降、中国語化や中国向けミラーの提案が、世界の有志から相次いでいる。自社だけでOSを作れば何年もかかる地ならしを、コミュニティーが肩代わりし始めた。加えて、Linuxはもともと、設定も操作も、文字で書かれたファイルとコマンドでできている。文字を読み書きするのが得意なAIにとっては、画面のボタンを探して押すより、はるかに扱いやすい世界だ。DHH氏も、エージェントはシェルのスクリプトやLinuxの不具合調べを見事にこなすと書いている。
4つ目は、統治の設計だ。Qwen Bookは、エージェントが用意した修正案を人が承認して初めて反映する流れを、公式の実演でも前面に出した。DHH氏の「主導権は持ち主に」という言葉と合わせ、勝手に動くAIへの警戒が強い利用者に配慮した姿勢を示している。マイクロソフトが「エージェント型OS」を掲げて反発を浴びたのとは、対照的な打ち出し方である。
課題――他社アプリの壁と、「所有」をめぐる矛盾

最大の壁は、他社のアプリだ。中国では昨年12月、その壁の高さを示す出来事があった。TikTokを運営するバイトダンスが、AIがスマートフォンを代わりに操作する「豆包(ドウバオ)」の試作機を、中興通訊の傘下ブランドと組んで3,499元(約8万2,000円)で売り出した。すると、対話アプリの微信(ウィーチャット)で利用者が強制的にログアウトされる事態が起き、アリババ自身のタオバオや中古品売買のアプリなども、この端末からのログインを拒んだ。バイトダンスは数日で、AIによる操作の範囲を見直すと表明した。
今度は、アリババがエージェントを動かす側に回る。微信をはじめとする他社が、自分のアプリをエージェントに開くとは限らない。米国でもアマゾンが昨年11月、AIが代わりに買い物をするPerplexityのブラウザーを訴えた。エージェントの通り道をめぐる争いは、国を問わず始まっている。ifanrが指摘したとおり、実演で動いたのはアリババ系のアプリばかりだった。
2つ目は、「所有」をめぐる矛盾だ。Omarchyの信条は「機械を所有せよ」とうたい、規約を勝手に変えるプラットフォームを退ける。一方で、Qwen Bookの頭脳の多くはアリババのクラウドにある。Gizmodoが「計算能力を所有できなくなる未来」と書いたのは、まさにこの点だ。Qwen Book版のOmarchyで、利用者はQwen以外のエージェントを選べるのか。ネットにつながらないとき、どこまで働けるのか。DHH氏の理想とアリババの商売が、この一点で折り合えるかどうかが問われる。
3つ目は、技術の成熟度だ。最初のQwen BookはARM版になるが、ARMのチップでLinuxを快適に動かすのは、まだ発展途上の分野である。Omarchy Dragonが掲げた目標は、スリープ、動画の再生、ファームウェアの更新といった、日々の基本動作を確実にすることだった。それほど基本から固める段階にある。クアルコム自身も、パソコン向けチップ「Snapdragon X2」のLinux対応について、Debianは年末、Ubuntuの認証は2027年前半という日程を示している。WindowsやAndroidのアプリをどう動かすのかも、まだ説明されていない。
4つ目は、DHH氏という人物そのものだ。DHH氏は、オープンソースの世界に広がった行動規範をめぐる論争を「もう終わりにする」と信条に書き、Omarchyは民主主義ではなく「慈悲深い独裁」だと明言する。政治的な発言も、たびたび物議を醸してきた。2025年10月にパソコンメーカーのFrameworkがOmarchyなどへの支援を打ち出したときには、コミュニティーから強い反発が起き、同社のフォーラムの議論は1,700件を超える書き込みに膨らんだ。強い個性は推進力だが、組む企業にとっては評判の危うさにもなる。財団の運営が一人の判断と好みに頼りすぎているという指摘も、そこに重なる。
5つ目は、地政学である。シリコンバレーの経営者たちが支えるオープンソースに、中国の巨大企業が資金を出し、中国向けの配信網まで整える。同じ財団には、メタやOpenAIといった米国のAI企業も名を連ねる。米中の技術対立が続くなかで、この中立地帯がどこまで中立でいられるのかが、これから試される。
今後――10月の深圳、12月の試用、そして2027年

まず10月13日、アリババはQwenを載せたメガネとイヤホンの販売を中国で始める。Qwen Bookを中心に、身に着ける機器まで含めた「Qwenの端末群」がそろい始める。
10月16日と17日には、中国・深圳でオープンソースの国際会議GOSIMが開かれ、DHH氏が基調講演に立つ。DHH氏は深圳でOmarchyの利用者の集まりに顔を出し、杭州のアリババを訪ね、北京にも足を運ぶと書いている。Qwen Book向けのOmarchyの具体的な姿が語られるとすれば、この訪中が最初の機会になる。
10月31日には、Qwen Bookの体験官100人の募集が締め切られる。12月には最初の体験プログラムが始まり、アリババの外の人間が初めて、この機械を日々の仕事で使う。そこで見るべき点は3つある。手元の小型モデルとクラウドが、実際にどう仕事を分け合うのか。ARM版のLinuxで、電池の持ちとスリープがまともに働くのか。そして、微信のような他社のアプリに、エージェントの手がどこまで届くのか。アリババが例年11月に発表する7月から9月期の決算で、経営陣が端末に触れるかどうかも見どころだ。
LatePostによれば、完成版は2026年末から2027年初めに出る見通しだ。同じころ、クアルコムはパソコン向けチップのLinux対応を年末にDebianから始め、2027年前半にはUbuntuの認証を目指す。エイスースやHPも、2027年初めのLinux対応を計画している。ARMのLinuxノートパソコンという土俵そのものが、ちょうどこの時期に整い始める。競合の側では、OpenAIが元アップルのデザイナー、ジョニー・アイブ氏と開発する端末について、2027年2月末より前には出荷しないと裁判所に出した書面で明らかにしている。
数字で追うなら、物差しは3つある。Omarchyのダウンロード数が2年目にどこまで伸びるか。Omarchyのエージェント選択画面にQwenが加わるか。そして、Qwen Bookの値段が、Googlebookのような競合と比べてどこに置かれるか。
AIの競争は、どのモデルが賢いかを競う段階から、AIがどこに住み、誰のルールで働くかを競う段階に移りつつある。アリババは、自前のモデルとクラウドに、シリコンバレーの開発者が愛するLinuxを組み合わせて、その答えを出そうとしている。ペンに話しかけた仕事が、ふたを閉じている間に片付く。その便利さと引き換えに、持ち主は何を手放すことになるのか。12月に届く最初の実機が、その最初の答えになる。
