ブラジル市場で何が起きたのか ―― 非常ブレーキと財政への不信

ブラジルの株式市場で、取引開始からわずか数分のうちに株価指数が10%下がり、株の売買が丸ごと止められた。前日の日曜日に、左派の現職ルラ大統領が決選投票で再選を決めたからだ。
30分後に取引が再開されると、売りはさらに膨らんだ。代表的な株価指数のイボベスパは、一時17%安まで沈み、昼を過ぎても14〜15%の下げが続いた。日本の株式市場で史上最悪の1日とされる1987年のブラックマンデーでも、日経平均の下げは15%弱だった。通貨レアルもドルに対して一時1割を超えて下落し、株、通貨、国債がそろって売られる「ブラジル売り」になった。大手家電量販・ネット通販のマガジン・ルイザの株価は一時、半値を割り込み、政府系のブラジル銀行も一時3割下げた。逆に、鉄鉱石大手のヴァーレや紙パルプのスザノなど、ドルで稼ぐ輸出企業の株は、レアル安を追い風に値上がりした。
日本でも、異変は月曜の朝から始まっていた。開票結果が伝わると、東京証券取引所に上場するブラジル株の上場投資信託が、一時16%下げた。地球の反対側で取引所が開く前に、売りはもう始まっていたことになる。
取引を止めたのは、サーキットブレーカーと呼ばれる仕組みだ。家庭のブレーカーが電気の流れすぎで落ちるように、相場が一定以上動くと自動で取引を止める。ブラジルの取引所では、指数が前の日より10%下がると30分、さらに15%まで下がると1時間止まる。恐怖が恐怖を呼ぶ投げ売りに、いったん水を差すための仕組みだ。止めなければ、売り手ばかりで買い手がいないまま、値段だけが落ち続けかねない。株で発動したのは、コロナ禍の2020年3月以来だった。この日は株だけでなく、ドルの先物や金利の先物でも、取引の停止が相次いだ。
ここまで崩れた最大の理由は、市場が逆の結果に賭けていたことにある。10月4日の第1回投票では、右派のフラビオ・ボルソナロ上院議員が首位に立った。財政の立て直しや国営企業の民営化を掲げた候補だ。株価指数は翌日に8%近く上げ、初めて20万ポイントを超えた。米国の予測市場では、投票の前日まで、同氏が勝つ確率は8割前後とされていた。ところが、ふたを開ければルラ氏が51.79%、フラビオ氏が48.21%。第1回投票で2位だった候補が逆転したのは、ブラジルで初めてだった。賭けの前提が崩れ、買われていた資産が一斉に投げ売られた。この日の安値は、第1回投票の前の水準さえ1割以上下回った。
ただ、巻き戻しだけでは、ここまでの下げは説明しきれない。市場が本当に恐れているのは、国の財布だ。ブラジルの公的債務はGDPの83%近くに達し、政策金利は13.75%と世界でも際立って高い。公的部門が抱える利息の負担は、この1年でGDPの9%近くに上る。投資家が政府の財政規律を疑えば、もっと高い金利を付けなければお金を貸さなくなる。すると利払いがさらに膨らみ、借金が増える。この日、長めの期間の金利は1日で2ポイント以上も跳ね上がった。レアル安と金利の急騰は、その悪循環への警報だ。ルラ氏は、社会保障給付の引き上げや、給与を減らさずに労働時間を短くすることを公約に掲げてきた。その一方で、勝利演説では歳出の抑制に触れなかった。


ルラ氏はどんな政治家か ―― 労働運動から4期目へ、市場との因縁

市場がここまでルラ氏を警戒するのには、長い因縁がある。
ルラ氏は、10月27日が81歳の誕生日だ。ブラジル北東部の貧しい家庭に、8人きょうだいの7番目として生まれ、幼いころ一家でサンパウロへ移った。12歳で初めて働いたのは、日系人が営むクリーニング店だった。やがて金属工場の工員から労働組合の指導者になり、軍事政権の下でストライキを率いた。1980年に仲間と労働者党を結成し、大統領選に3度敗れたあと、2002年に4度目の挑戦で当選した。
この2002年が、市場との因縁の始まりだ。左派の大統領の誕生を恐れて投資家が資金を引き揚げ、レアルは当時の最安値まで売られた。ルラ氏は選挙戦のさなかに「ブラジル国民への手紙」を公表し、契約を守り、財政の黒字を保つと約束した。就任後は、米国の大手銀行の元首脳を中央銀行総裁に起用し、国際通貨基金が求めた以上の財政黒字の目標を掲げた。資源ブームの追い風も受けて経済は伸び、その国際通貨基金からの借金も、予定より2年早く返し終えた。貧しい家庭への現金給付で、多くの人が貧困から抜け出した。2期8年を、高い支持率を保ったまま終えている。
その後、汚職事件で有罪判決を受け、2018年から1年7カ月にわたって収監された。2021年に最高裁が判決を無効とし、2022年の大統領選でジャイル・ボルソナロ前大統領を僅差で破って返り咲いた。
ただ、3期目は市場とぎくしゃくし続けた。当選直後には、歳出の上限を批判する演説で株安とレアル安を招き、それでも「市場は理由もなく神経質になる」と言い放った。債務への懸念を「ばかげている」と退けたこともある。この任期中に、公的債務の対GDP比は10ポイント以上も上がった。
外交では、米国のトランプ政権と距離を置いてきた。そのトランプ大統領は、第1回投票でフラビオ氏が首位に立つと「とても大きな勝利だ」とたたえていた。ルラ氏は勝利宣言で「ブラジルは誰の庭にもならない」と述べた。中南米で親米の右派政権が相次いで生まれるなか、その流れに歯止めをかけた形だ。
ルラ氏の強みは、貧しい人が多い北東部での厚い支持と、議会と取引する老練さだ。今回も、北東部の票が逆転を支えた。一方で、課題は重い。10月の議会選挙では保守派が勢いを増し、下院ではフラビオ氏の自由党が、一つの政党としては1990年以来で最も多い議席を得た。そのフラビオ氏は、クーデター未遂の罪で刑に服している父ジャイル氏の長男だ。敗北を認めず、選挙の無効を求めると表明している。


市場はどう見ているか、これからどこを見ればいいか

市場の受け止めは、総じて厳しい。投資サービス大手eトロのストラテジスト、ラレ・アコナー氏は「市場はフラビオ氏の勝利をほぼ前提にしていた」と述べた。下げの一部は投資家の急な手じまいで、経済が急に悪くなったわけではないとしつつ、政府の支出への懸念から、荒い値動きは続くとみる。オランダの金融大手INGのクリス・ターナー氏は、財政こそブラジルの弱点だと指摘し、財政の立て直しより公約の実行が優先されかねないと警戒する。米JPモルガンは、レアルとブラジル国債の投資判断を引き下げた。一方で、調査会社ギャベカル・リサーチのロハン・ダスワニ氏のように、今回の急落は買いの好機になり得るという声もある。
政府も火消しに動いた。予定していた国債の入札を取りやめ、約2,000億円分の国債を買い戻した。中央銀行も、為替の先物取引を通じてドル高の抑え込みに動いた。デュリガン財務相は有力紙オ・グローボに対し、市場に合理性と流動性を取り戻すために介入すると述べ、財政の黒字幅を大きくするとも語った。
成否を占う材料は、四つある。
一つ目は、財務相の人選だ。米ゴールドマン・サックスのエコノミストは、投資家にとって最大の問いは「誰が財務省を率いるか」だとしている。新しい任期は来年1月5日に始まる。それまでに、市場が信頼できる人物を指名できるかが最初の試金石になる。
二つ目は、11月3日と4日に開かれる中央銀行の金融政策会合だ。中銀は9月まで5会合続けて利下げしてきたが、物価の上昇率はすでに4.6%と、中銀が許す上限を上回っている。そこにレアル安が加われば、輸入品の値上がりを通じて物価はさらに押し上げられる。利下げを止めるのかが注目される。
三つ目は、年末にかけて議会で審議される2027年の予算と、歳出の上限だ。1月には、新しい付加価値税の導入も控える。保守派が増えた議会と、どこまで折り合えるかが問われる。
四つ目は、フラビオ氏による無効の申し立ての行方だ。同氏は、最高裁の判事が投票時間を2時間延ばしたことなどを問題にしているが、法律家の多くは、結果を覆すほどの影響を示すのは難しいとみる。INGのターナー氏も、フラビオ氏がどれだけ早く結果を受け入れるかが、市場にとって重要だと述べている。
26日の暴落は、偏った賭けの清算であると同時に、ブラジルの財政への不信がなお根深いことを映し出した。24年前、ルラ氏は人事と約束で市場の恐怖を鎮めた。81歳の大統領が同じことをもう一度できるのか。その最初の答えは、これから指名する財務相の名前になる。
