HYROXとは何か——「ジム通いのためのマラソン」という発明

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HYROXは、8kmのランニングと8種類のファンクショナル種目を交互に行う屋内フィットネスレースである。ルールは驚くほど単純で、1kmを走り、1つの種目をこなし、それを8回繰り返す。走りと種目の間にも、種目と次の走りの間にも休憩はない。

種目の順番は世界中どの大会でも固定されている。公式ルールブック(26/27シーズン版)によれば、1つ目がスキーエルグ1,000m、2つ目がソリ押し50m、3つ目がソリ引き50m、4つ目がバーピー・ブロードジャンプ80m、5つ目がローイング1,000m、6つ目がケトルベルを両手に持って歩くファーマーズキャリー200m、7つ目がサンドバッグを担いだランジ100m、そして最後がウォールボール100回である。8つ目のウォールボールを投げ終えた瞬間がゴールとなる。

重量はディビジョン(部門)によって変わるが、走行距離は全部門共通で8kmだ。女子オープンはソリ押しがソリ込み102kg、ファーマーズキャリーが16kg×2、ランジが10kg、ウォールボールが4kg。男子オープンと女子プロが同じ重量で、ソリ押し152kg、24kg×2、20kg、6kg。最も重い男子プロはソリ押し202kg、32kg×2、30kg、9kgとなる。同じ重量設定を世界中で共有しているため、東京で出したタイムとロンドンで出したタイムを直接比較できる——この「標準化」こそがHYROXの設計思想の核心である。

参加形式も間口が広い。個人(シングル)のほか、2人で交互に種目をこなすダブルス、4人のリレー、そして障害のあるアスリート向けのアダプティブ部門がある。年齢区分は16〜24歳、25〜29歳、30〜34歳……と細かく刻まれ、16歳以上であれば予選も資格も不要で誰でもエントリーできる。公式サイトによれば完走率は98%を超え、制限時間はない。スタートは終日10分おきにウェーブ方式で行われるため、3時間かかる参加者と1時間を切るエリートが同じ瞬間にゴールすることも起きる。「最下位になる恐怖」を構造的に消してあるのだ。

日本では2025年8月9日のパシフィコ横浜が初開催で、3,820人がエントリーした。2026年1月30〜31日には大阪で8,000人超が走り、そして2026年8月6〜9日、幕張メッセで「AirAsia HYROX Chiba」が国内初の4日間開催として実施され、主催者発表で約1万2,000人が集まった。運営はHybrid Fitness Racing HK Limited(HYROX Japan)で、7月21日のリリースでは国内過去大会比48%増と説明されていた。参加費は各種案内で2万5,000円前後、欧州では89〜130ユーロ(約1万6,000〜2万4,000円)、米国では最大185ドル(約2万9,000円)程度である。

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数字で見るHYROX——650人から150万人へ

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HYROXの成長曲線は、スポーツイベントとしては異例の急角度を描いている。2017年にハンブルクでテストイベントを実施し、2018年4月の初の公式レースの参加者は650人だった。2022/23シーズンは45大会・約9万人、2023年には世界65レースで17万5,000人、2024年には65万人超へ。そして親会社Infrontの説明によれば、2024/25シーズンは30カ国以上・85都市以上で年間100大会近くを開催する規模に達した。

現在の規模については、情報源によって数字が割れている。HYROXが2026年7月20日に発表した2026/27シーズン(シーズン9)の計画では、直前の2025/26シーズンが「150万人・200日超のレースデー」、新シーズンは「6大陸・107レースウィークエンド・200万人超」とされている。CNBCは2026年6月10日、「2026年に150万人に到達する」と報じた。一方でForbes India(2026年7月28日)に対しトエツケCEOは、2025年に43カ国で90万人、2026年に200万人を見込むと語っている。ドイツ紙Westdeutsche Zeitungは2026年に180万人、2027年に250万人という数字を伝えた。

収益面では、Sporting Goods Intelligence(SGI Europe)が2025年の売上高を1億3,000万〜1億4,000万ユーロ(約239億〜258億円)、EBITDAを約3,000万ユーロ(約55億円、マージン約20%)と推計している。2年前の約4,000万ユーロ(約74億円)からの伸びで、2026年は2億ユーロ超(約368億円超)の見通しだ。Fortuneは2025年10月30日の記事でHYROXを「1億4,000万ドル(約223億円)のフィットネスブランド」と表現し、CNBCおよびYahoo Financeは経営陣が2026年に約2億7,000万ドル(約430億円)を見込んでいると伝えた。

収益の内訳について、トエツケ氏はForbes Indiaに対し、チケッティングが60%、スポンサーシップが20%、ジムのアフィリエイトが10%、マーチャンダイズが10%と明かしている。同氏はまた、大会で使う機材の大半を自社で保有する「アセットヘビー」な事業だと説明した。実際、運営は「ロックコンサートのツアーのように動く」(HCM誌インタビュー)体制で、大会終了後は全機材をトラックに積んで次の都市へ運ぶ。

参加者の属性も投資家の関心を集めている部分だ。Infrontの説明では約70%が初めてのHYROX参加者で、30歳以上が高い比率を占める。SportsVerseの分析によれば女性比率は2020年の24%から38%へ上昇し、参加者の3分の2が30歳以上である。HCM誌のインタビューでトエツケ氏は「参加者の98%はジム会員」と述べており、UKでは25〜34歳が42%を占めるという調査もある。ジムのアフィリエイト網は2024年末の5,000店から拡大を続け、2026年時点では1万5,000〜1万6,000店とされる。アフィリエイト料は1拠点あたり月130ドル(約2.1万円)または年1,500ドル(約24万円)、EU圏では月90ユーロ(約1.7万円)で、12カ月自動更新である。

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L Catterton、Infrontと独占交渉——報じられた事実と、報じられていない事実

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第一報は英Sky Newsだった。2026年6月13日、同局のシティ・エディターであるMark Kleinman氏が、L CattertonがHYROXの買収に向けて独占交渉に入ったとスクープした。売り手はHYROXの過半数株主であるスイスのInfront Sports & Media AGで、両社は以前から協議を続けており、発表は「数週間以内にあり得る」とされた。ただしSkyは、想定される取引の価値は不明だと明記している。Infrontを率いるのは、元FIFA会長ゼップ・ブラッター氏の甥であるPhilippe Blatter氏である。

Bloombergは同日、Sky報道を引用する形で配信した。L Cattertonはコメントを拒否し、Infrontはコメントを取れなかったと記されている。Private Equity Wireは6月15日、「合意は数週間以内にあり得るが、タイミングと取引ストラクチャーは変わり得る」と報じた。Fitt Insiderは6月16日、L Cattertonが「主要な株式(major stake)」の取得を検討していると伝えている。

企業価値について、公式に開示された数字は存在しない。European Business Magazineは、成長資産に適用される20〜30倍というEBITDAマルチプルを約3,000万ユーロのEBITDA推計に当てはめ、7億〜10億ユーロ(約1,290億〜1,840億円)という含意レンジを提示した。香港のDim Sum Dailyも「最大10億ユーロの評価」という見出しで報じている。米ドル換算で「最大10億ドル(約1,590億円)」と表現する媒体もある。いずれも当事者の開示ではなく、リークされたとされるEBITDA数値に基づく業界推計である。

取引後にInfrontが少数株主として残るかどうかも、SGI Europeが「不明」としたまま現在に至っている。

参加者規模についての記述には、媒体間で大きな開きがある。SkyとBloombergは「今年、世界の各都市で約9万人が参加する見込み」と書いた。これはInfrontが2022年10月のリリースで2022/23シーズンについて示した「世界で約9万人」という数字と一致する規模感である。一方でCNBCとHYROX自身は2026年について150万人という数字を示している。

そして重要な点として、2026年8月13日時点で、L Catterton、Infront、HYROXのいずれからも取引成立の公式発表は出ていない。この間にL Cattertonが公表した動きは、7月30日にLAVCA(ラテンアメリカ・プライベートキャピタル協会)が伝えたラテンアメリカ・ファンドIVの約5億5,000万ドル(約877億円)での最終クローズなどで、HYROXは含まれていない。Skyが「数週間以内」と報じてから2カ月が経過している。

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PEファンドとは何か——「他人の年金で会社を買い、磨いて売る」商売

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ここでPEファンド(プライベート・エクイティ・ファンド)の仕組みを整理しておきたい。PEファンドとは、年金基金、政府系ファンド、大学基金、保険会社、富裕層といった機関投資家から資金を集め、その資金で未公開企業(あるいは上場企業を非公開化して)の株式を取得し、数年かけて企業価値を高めたうえで売却して利益を分配する投資ファンドである。株式市場で少数株を売買するのではなく、経営の支配権またはそれに準じる影響力を取得して当事者として企業を作り替える点が、ヘッジファンドや一般の株式投資と決定的に異なる。

構造は二層になっている。資金を出す投資家がLP(リミテッド・パートナー)、実際に投資判断と経営関与を行う運用会社がGP(ジェネラル・パートナー)だ。ファンドの存続期間は通常10年前後で、前半5年ほどで投資を実行し、後半で価値向上とエグジット(売却)を進める。GPは運用資産に対する管理報酬と、一定の目標収益率を超えた分の成功報酬を受け取る。エグジットの手段は、事業会社への売却(トレードセール)、別のPEファンドへの売却(セカンダリー・バイアウト)、そして株式公開(IPO)である。

投資スタイルは大きく分けて、成熟企業を借入(レバレッジ)を使って買収し、キャッシュフローで負債を返済しながら利益率を改善する「バイアウト」と、成長途上の企業に少数株で資金を入れて事業拡大を後押しする「グロース投資」がある。HYROXのように売上が年8割以上のペースで伸びている資産は、典型的なバイアウト案件ではなく、成長プレミアムを織り込んだグロース寄りの案件として値付けされる。European Business Magazineが「87%の成長率の資産は成熟したバイアウト案件ではない」として20〜30倍のマルチプルを当てはめたのは、この文脈である。

市場環境も、この取引の背景を理解するうえで無視できない。ベイン・アンド・カンパニーの『Global Private Equity Report 2026』によれば、2025年のバイアウト投資額は44%増の9,040億ドル(約144兆円)、エグジット額は47%増の7,170億ドル(約114兆円)と回復した一方、業界は1兆3,000億ドル(約207兆円)のドライパウダー(未投資資金)と、3兆8,000億ドル(約606兆円)にのぼる未実現価値を抱えたままだ。同社の2026年中間レポートは、AIによるソフトウェア評価の急落、プライベートクレジットの解約圧力、イラン情勢によるエネルギー価格高騰という「三重のショック」が回復を減速させたと分析し、未売却のポートフォリオ企業が約3万3,000社、平均保有期間が約7年に達していると指摘する。LPの5社に1社がバイアウトへの配分を減らしているという状況で、GPは「確実に伸びていて、現金を生み、説明が容易な消費者ブランド」を強く求めている。

日本市場も活況で、ベインの『Japan Private Equity Report 2026』によれば2025年の投資案件総額は4.8兆円、エグジット総額は過去最高の2.4兆円に達した。

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L Catterton——LVMHが4割を持つ、世界最大の消費財特化ファンド

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L Cattertonは1989年に米コネチカット州グリニッジで設立されたCattertonを母体とする。2016年1月、LVMHおよびベルナール・アルノー氏の資産管理会社Groupe Arnault(現Financière Agache)と提携し、CattertonのアメリカPE事業と、LVMH/Groupe ArnaultのL Capital・L Real Estate(欧州・アジア事業)を統合してL Cattertonが誕生した。当時のプレスリリースによれば、出資比率はL Cattertonのパートナーが60%、LVMHとGroupe Arnaultが合わせて40%で、運用資産は後継ファンドのクローズ後に120億ドル(約1.9兆円)超へ拡大する見込みとされていた。共同CEOにはJ. Michael Chu氏とScott A. Dahnke氏が就いた。

「LVMHのPEファンド」と呼ばれるのはこの40%の出資関係と、LVMH傘下60以上のブランドへのアクセスに由来する。ただし運用会社の過半はパートナーが保有しており、投資判断は独立して行われる。同社の公式サイトによれば、現在の運用資産は約400億ドル(約6.4兆円)、1989年以降の投資件数は300件超、5大陸18拠点に200人超の投資・オペレーション専門家を擁する。

フィットネス領域での実績は、この案件を理解する鍵である。2015年12月、当時のCattertonはPelotonに7,500万ドル(約120億円)のグロース出資を実行した。2019年9月のIPO時点で保有比率5.4%、公開価格ベースの評価額は約3億7,100万ドル(約591億円)に達し、およそ5倍のリターンとなった。過去・現在のポートフォリオにはEquinox、SoulCycle、CorePower Yoga、Pure Barre、Flywheel、ClassPass、Xponential Fitness、Tonal、Hydrow、iFIT/NordicTrackが並ぶ。

近年の動きはさらに直接的だ。2024年9月、ピラティススタジオ運営のSolidcoreの過半数株式を、最大7億ドル(約1,116億円)の評価で取得。同社は約130拠点を2028年までに250拠点へ倍増させる計画を掲げた。さらにミュンヘン拠点のコネクテッド・フィットネス企業EGYMの2億ドル(約319億円)調達をリードし、企業価値は12億ドル(約1,913億円)超と評価された。

そして2026年4月、L CattertonはアスリートのFO(ファミリーオフィス)運用で知られるPatricof Coと組み、「CHAMP(Champion Athlete Managing Partner)」という5億ドル(約800億円)規模の特別目的ファンドを立ち上げた。ケビン・デュラント、タイリース・ハリバートン、ソフィー・カニンガム、ジョー・バロウ、マイク・トラウトら250人超のアスリートが共同オーナーとして参加し、資金の10%超をアスリート自身がコミットしている。第1号案件はアクティブウェアのRhobackへの約5,000万ドル(約80億円)のマイノリティ出資だった。広告塔として報酬を払うのではなく、株主として利害を一致させる設計である。HYROXのようにアスリートとコミュニティが商品そのものである資産と、この仕組みの相性は良い。

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売り手の事情——Wanda、Infront、そして2026年2月の「売らない」決定

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この取引を投資家の目で読むなら、買い手の思惑以上に売り手の事情が重要である。

HYROXの過半数株主Infront Sports & Mediaは、2015年に中国の大連万達集団(Wanda Group)が英PEファンドBridgepointから10億5,000万ドル(約1,674億円)で買収したスポーツマーケティング会社だ。InfrontがHYROX(当時のUpsolut Sports GmbH)に初めて出資したのは2019年12月で、独MCF Corporate FinanceがHYROX側のFA(財務アドバイザー)を務めた。そして2022年10月20日、Infrontは出資比率を50%超へ引き上げ、過半数株主となった。当時のリリースでトエツケ氏は「フィットネスレースというスポーツは今後4年で50万人超の参加者を集めると信じている」と述べており、その予測は実際には大幅に上振れた。

Wandaは2023年8月、Infrontの新たな戦略投資家を探す「戦略的レビュー」を開始した。だが2026年2月、Infrontとの共同発表でこのプロセスの終了を公表する。取締役会は、PEファンドを含む多くの関心があったにもかかわらず、Blatter CEOのもとで単独企業として成長を続けることが最善と判断し、Wandaが長期の過半数株主として残ると結論づけた。つまり「会社全体は売らない」と決めたわけである。

その4カ月後に浮上したのが、傘下で最も成長している資産だけを切り出す今回の交渉だ。背景にはWandaグループの財務状況がある。同グループは不動産不況のなかで負債圧縮を続けており、2025年12月にはWanda Real Estate Group等の債務不履行を受けて王健林氏に高額消費禁止令が出され、大連万達商業管理集団は2026年1月に3億ドル、2月に4億ドルの償還を控えていると報じられた。北京本社ビルを含む資産売却も進めてきた。

前例もある。Wandaは2015年8月、Providence Equity Partnersから約6億5,000万ドルでIRONMAN(World Triathlon Corporation)を買収したが、2020年3月、Advance PublicationsとOrkila Capitalに事業価値7億3,000万ドル(約1,164億円)で売却した。当時のIRONMAN Groupは50カ国以上で235超の大会を開催し、年間100万人超のアスリートが参加する「世界最大のマス参加型スポーツプラットフォーム」だった。年間150万人規模へ到達したHYROXに7億〜10億ユーロという値段が付くのであれば、6年前のIRONMANの価格を上回ることになる。マス参加型スポーツというアセットクラスそのものの再評価が起きている、と読むこともできる。

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創業者クリスチャン・トエツケ——十種競技の選手から、マス参加型イベントの職人へ

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HYROXを構想したのは、共同創業者のChristian Toetzke(クリスチャン・トエツケ、ドイツ語表記はChristian Tötzke)である。ドイツ・ハンブルクを拠点とし、商業登記上の氏名はJörg Christian Tötzkeだ。公式ルールブックの冒頭には「HYROXは共同創業者クリスチャン・トエツケのアイデアに基づく」と明記され、レースフォーマット自体はMintra Tilly氏が設計しルールブックを執筆したと記されている。

競技者としての出発点は十種競技だった。BOXROXのインタビューで同氏は自らを「速筋タイプで、持久系競技には筋肉が付きすぎている」と表現しつつ、ランニング、マラソン、トライアスロン、ジムトレーニング、アイスホッケーまで幅広く続けてきたと語っている。十種競技の後は自転車競技へ移った。

起業は1995年である。GymNationに掲載されたインタビューによれば、大学卒業後に広告代理店へ就職したものの半年で辞め、公道を封鎖してプロとアマチュアが同じコースを走る自転車イベントの会社を立ち上げた。これがハンブルクのUpsolut Sports AGだ。ラガルデール(Lagardère)の買収発表資料によれば、Upsolutは1995年設立で従業員40人超、UCIプロツアーの「Vattenfall Cyclassics」、トライアスロンの「Hamburg Cityman」、そして「Deutschland Tour」を手がけていた。BOXROXによれば、同氏は自ら主催するイベントに参加者として出走する習慣を持ち続けたという。

2007年、UpsolutはLagardère Sportsに売却される(同社は後にLagardère Unlimited Events AGへ改称)。売却契約に伴いトエツケ氏は大企業側へ移り、Lagardère Sportsの耐久スポーツ部門CEOを務めた。2016年1月21日、IRONMANがこの耐久部門を買収する。ITU世界トライアスロンシリーズ5大会、Velothonを含む自転車6レース、マラソン4大会などを含み、2016年に約14万人の参加者を見込む規模だった。トエツケ氏はIRONMANのグローバル経営陣に加わり、Chief Development Officer兼Global Head of Cyclingに就任している。

ここに因縁がある。当時のIRONMANの親会社はWandaだった。つまりトエツケ氏は、後にHYROXの過半数株主となるWandaグループの内側で働いた経験を持つ。GymNationのインタビューで同氏は、この時期に「資本へのアクセスがいかに強力か」を学んだと振り返る一方、「大きなアイデアは大企業からは生まれない」とも語っている。取締役会は長すぎ、あらゆる決定に時間がかかりすぎる、というのがその理由だ。

商業登記によれば、HYROXの母体となる法人は2017年1月23日に「Upsolut Sport Betriebs GmbH」として登記され、後にHYROX World GmbHへ改称された。同氏は現在もモリッツ・フュルステ氏とともに同社の代表を務め、HYROX France SASの代表も兼ねる。IRONMAN Germany GmbHの代表を退いたのは2016年10月26日付である。

Fortuneが2025年10月30日に報じたインタビューで、トエツケ氏は自身の働き方をこう語っている。「私はワークライフバランスを強く信じているが、問題はそれをどう見るかだ。私は特権的な人間で、自分がやっていることを仕事だと思っていない」「私にとって仕事は罰ではない。むしろ報酬に近い」。同記事は、HYROXが外部資金に頼らないブートストラップ志向で、単一カテゴリーに集中する規律を保ってきたと指摘している。組織づくりでは、単一ブランドへの集中、ジュニア中心の階層組織ではなく経験豊富な少人数チーム、SlackやMondayを使ったテクノロジー主導の効率化という3原則を掲げている。

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創業秘話——五輪招致の敗北が生んだ「ジムのマラソン」

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HYROXの誕生には、もう一人の主役がいる。フィールドホッケーのドイツ代表として2008年北京、2012年ロンドンで金メダル、2016年リオデジャネイロで銅メダルを獲得したMoritz Fürste(モリッツ・フュルステ)である。現在はHYROXの共同創業者兼CMO(最高マーケティング責任者)を務める。

2015年、ハンブルクは2024年夏季五輪の招致を目指していた。フュルステ氏はこのキャンペーンに深く関与したが、住民投票の結果、招致は断念される。この招致プロセスのなかで、彼はイベント運営のプロであるトエツケ氏と出会った。五輪招致の敗北がなければ二人は出会っていなかった、という点でHYROXは「敗北から生まれた事業」である。

二人が着目したのは、単純だが誰も埋めていなかった空白だった。トエツケ氏がHCM誌に語った言い回しが最も分かりやすい。「ジムでのワークアウトは、ゲーミフィケーションが存在しない唯一のスポーツだ。カロリーを消費するためだけにテニスをする人はいない。誰かと対戦したいからテニスをする。そうでなければ壁打ちで十分だ」。世界には2億人とも2億7,000万人ともいわれるジム会員がいるのに、彼らが日々鍛えている能力そのものを競う大会が存在しなかった。トライアスロンやマラソンはあるが、それらは上半身と筋持久力をほとんど問わないし、練習にも大きな時間投資が要る。「1時間のセッションを週3〜4回」で準備できる競技を作れば、この巨大な母集団がそのまま参加者になる——それがHYROXの仮説だった。

種目選定の基準も明快だった。全身を使い、誰でも完遂でき、高度な技術を要さず、怪我のリスクが低い自然な動作であること。2017年のハンブルクでのテストイベント以降、フォーマットは一切変更されていない。「変えてしまえば、年をまたいだ記録の比較ができなくなる」からだ。トエツケ氏はHCM誌で、フォーマットを変えるのは「スキーエルグが登場したときのような革命的なマシンが発明された場合だけ」だと述べている。

公式サイトの「The History」ページによれば、創業メンバーにはもう一人、マーケティング専門家のMichael Trautmann氏が名を連ねる。PUMAは初回のハンブルク大会からローカルパートナーとして関わっていた。

2018年4月の初レースは650人。9都市のドイツ国内大会で参加者は約7,000人まで伸びたところで、コロナ禍が直撃する。「屋内で3人以上が集まることすら許されない時期に、屋内マス参加型イベントをやっていた」とトエツケ氏は振り返る。ドイツと米国で立ち上げた直後の完全停止だった。バーチャル施策でブランドを延命させながら耐え、規制が緩んだ2021年に英国で再開すると、そこから一気に火が付いた。「ロックダウン後に立ち上げた地域はすべて、パンデミック前の2地域より成功している」。

拡大の加速装置になったのがパートナーシップだった。Xponential Fitness傘下のBody Fit Training(BFT)と組み、BFTが強いアジア太平洋へ進出。2023年8月26日のメルボルン大会は3,500人で完売し、10月6日のシンガポール大会はそれを上回った。Infrontの資本と営業網も効いた。そして2024年6月、PUMAがグローバルパートナーに昇格し、2025年1月には契約を前倒しで2030年まで延長、HYROX World Championshipsの独占タイトルパートナーにもなった。

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業界の状況と競合——ハイブリッド・フィットネスの争奪戦

フィットネスレースHYROX(ハイロックス)、LVMHのPEファンド L Catterton(Lキャタルトン)が出資に向けて交渉中 - 業界の状況と競合——ハイブリッド・フィットネスの争奪戦 - 章扉

HYROXが切り拓いた「フィットネスレーシング」というカテゴリーは、いまや複数のプレーヤーがひしめく市場になっている。

象徴的なのはCrossFitの現在地である。2020年に創業者グレッグ・グラスマン氏から同社を買収したPEファンドBerkshire Partnersは、2025年3月に売却プロセスを開始したものの、2026年7月にAthletech Newsが報じたところによれば、5月にCEOへ就任したBruce Edwards氏が「売却の中止」を就任条件として要求し、売却は取りやめとなった。同氏は自社の問題を「需要の問題ではなく認識の問題」と表現している。かつて1万3,000店を超えたアフィリエイトジムは約4分の1減少したと伝えられる。

Spartan Race傘下のDEKA Fitは、10のゾーンを500mのランで区切る、HYROXより短く密度の高いフォーマットで、完走者数は2021年の約1,746人から2025年には約2万4,740人へ拡大した。英国発のATHXは、2025年の6大会・約6,000人から2026年には欧米18大会へ拡大し、adidasと4年間のグローバルパートナーシップを締結。2026年シーズン前半だけで7大会・1万人超を集め、パリ大会には2,100人以上が参加した。Jeffrey Katzenberg氏のWndrCoから1,500万ドル(約24億円)を調達したXenomは、2日間で10種目を採点する「フィットネスの十種競技」を掲げ、エリート層を狙う。ほかに英国のMetrix、Turf Gamesといったブランドもある。ジム運営各社も自前の大会を持ち始めており、F45のPeak500、Life TimeのLT Games、CrunchのConquer Challenge、FitstopのGlobal Gamesなどが並ぶ。

カテゴリーの価値を最も雄弁に示しているのはシューズメーカーの動きだ。PUMAは2026年2月19日にHYROX専用設計の「Deviate NITRO Elite HYROX」を世界発売した。adidasは3月に「Adizero Dropset Elite」を投入。Onは2026年8月に初のカーボンプレート搭載ハイブリッドシューズ「Cloud X Tempo Pro」をグローバル発売した。そしてNikeは2026年8月3日、HYROX向けの初のシューズライン「Nike Hybrid」を発表。トレーニング向けの「Hybrid RN」は9月24日に中国、10月8日にグローバルで150ドル(約2.4万円)で発売され、レース特化の「Hybrid Fly」は2027年春に投入される。公式パートナーはPUMAのままだが、Nikeがオフィシャル契約なしに専用ラインを立ち上げたこと自体が、市場規模の証明になっている。

市場全体の追い風も強い。Future Market Insightsはヘルス&フィットネスクラブ市場を2025年に1,198億ドル(約19.1兆円)、2026年に1,302億ドル(約20.8兆円)と見積もる。Crunchbase Newsが2026年8月12日に報じたところでは、フィットネス・ウェルネス領域のスタートアップ投資は2026年上半期だけで36億ドル(約5,738億円)に達し、通年では2025年比で約3分の1増、2022年以来の高水準になるペースだという。ただし資金は「継続的に健康データを収集しAIで個別指導に変換するデバイス」に集中しており、ソフトウェアや医療的要素を伴わないハードウェアからは投資家が退いている。イベント・体験型フィットネスは、このVCの潮流とは別の資金——つまりPEの資金——を引き寄せる領域になっている。

フィットネスレースHYROX(ハイロックス)、LVMHのPEファンド L Catterton(Lキャタルトン)が出資に向けて交渉中 - 業界の状況と競合——ハイブリッド・フィットネスの争奪戦 - 図表1フィットネスレースHYROX(ハイロックス)、LVMHのPEファンド L Catterton(Lキャタルトン)が出資に向けて交渉中 - 業界の状況と競合——ハイブリッド・フィットネスの争奪戦 - 図表2

投資家はHYROXの何を買うのか——強みと価値、そしてリスク

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VCやPEの視点でHYROXを分解すると、この資産の価値は4つの層に整理できる。

第一に、標準化がもたらす反復性である。世界中で同じ8kmと同じ8種目、同じ重量を維持しているため、参加者は自分のタイムを「自己ベスト」として管理でき、翌年また走る動機が自動的に生まれる。マラソンやオリンピックリフティングが世界共通のベンチマークとして定着したのと同じ原理だ、とスポーツパフォーマンス研究者のAdam Storey博士はAthletech Newsに述べている。イベント事業は通常、一度きりの体験を売る「フロー型」だが、標準化されたベンチマークはこれをリピート型に変える。

第二に、顧客獲得コスト(CAC)がほぼゼロで済む構造である。European Business Magazineは、フィットネス業界の一般的なCACが100〜300ドルであるのに対し、HYROXは参加者とアフィリエイトジムが自発的にフィニッシュタイムや動画を共有することでオーガニックに獲得できていると指摘する。参加者の98%がジム会員であり、その会員が通うジムがアフィリエイトとして訓練プログラムを提供する——顧客が販売チャネルを兼ねている。SportsVerseは、Grand Palais(パリ)、マンハッタンのピア、マリーナベイ(シンガポール)といった「写真映えする都市型会場」を選ぶ設計が、CrossFitのローカル完結モデルやSpartanの山中開催と決定的に異なると分析する。

第三に、多面市場としての厚みである。参加者(チケット60%)、スポンサー(20%)、1万5,000店規模のアフィリエイトジム(10%)、物販(10%)という4本柱に加え、Amazfitとの3年間グローバル独占ウェアラブル契約(2026年4月15日発表、スマートウォッチ・スマートリング・スマートカメラ・スマートグラス等を含む)、Atmosphere TVを通じた世界6万カ所のバー・レストラン・ジムへの配信といった、メディアとデータの収益化余地が残されている。エリート層の賞金総額は2025年の30万2,000ドルから2026年には50万4,000ドル(約8,030万円)へ拡大し、Elite 15の男女優勝者は各4万ドル(約640万円)を得た。プロ選手にはシーズンあたり197ユーロ(約3.6万円)のアスリートライセンスが課される。

第四に、価格決定力である。ニューヨークやマイアミの大会は数カ月前に完売し、初期価格帯を逃せば同じレースに30〜50ドル多く払うことになる。2025年6月のAOL/Yahoo記事はチケット争奪戦を「グラストンベリーのようだった」という参加者の言葉で描いた。インドではムンバイ大会の1万5,000枠が4時間で完売している。需要が供給を大幅に上回っている状態は、PEにとって最も分かりやすいバリューアップの余白だ。実際、IRONMANが機関投資家の手に渡った後に価格を体系的に引き上げ、放映権とスポンサー収入を開発していった経緯は、European Business Magazineが直接の先例として挙げている。

一方でリスクも明確である。フォーマットの不変性は比較可能性という強みの源泉だが、同時に飽きへの耐性を持たないという弱点でもある。単一フォーマット・単一ブランドへの集中は効率的だが、カテゴリー全体が減速したときの逃げ場がない。adidasとNikeという桁違いの資本を持つ企業が周辺プロダクトとライバル大会に本腰を入れ始めたことは、ブランドの独占度を長期的に希釈し得る。チケットの慢性的な不足は、ATHXやMetrixのような代替ブランドへ需要を流出させる直接の原因でもある。機材を自社保有するアセットヘビーな運営は、会場費と物流費のインフレに対して脆い。そしてWandaの財務問題という株主側のオーバーハングは、取引の条件そのものに影響し得る。

フィットネスレースHYROX(ハイロックス)、LVMHのPEファンド L Catterton(Lキャタルトン)が出資に向けて交渉中 - 投資家はHYROXの何を買うのか——強みと価値、そしてリスク - 図表1

今後の動き——2026年後半から2027年にかけて何が起きるか

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まず注視すべきは取引の発表である。Skyが「数週間以内」と報じてから2カ月が経過し、8月13日時点で発表はない。当事者はいずれもコメントを控えている。焦点は、L Cattertonが過半数を取るのか少数株にとどまるのか、Infrontが少数株主として残るのか完全撤退するのか、そして投資がバイアウト・ファンドから行われるのかグロース戦略から行われるのかという3点になる。

事業側のスケジュールはすでに公表されている。HYROXは2026年7月20日、2026/27シーズンとして6大陸・107レースウィークエンド・200万人超の計画を発表した。新規開催都市はサンディエゴ、ポートランド、バーリ(イタリア)、そして名古屋である。従来1〜2日だった開催形式を、主要市場では最大10日間の「レジデンシー」形式へ拡張する。ユース部門のHYROX Youngstarsは北米へ展開する。チケット販売は2026年7月末から地域ごとに開始された。トエツケ氏は「200万人超のアスリートと100を超えるレースウィークエンドは、フィットネスレーシングに対する前例のない世界的需要を示している」とコメントしている。

シーズンの頂点は、2027年6月10〜13日に香港のAsiaWorld-Expoで開催されるHYROX World Championshipsだ。アジアでの初開催であり、PUMAがタイトルパートナーを務める。2026年大会はストックホルムのStrawberry Arenaで6月18〜21日に行われ、Elite 15女子はアリッサ・マケルヘニー選手、男子はディラン・スコット選手が制した。

競技構造も転換期にある。従来の「Major」制はワルシャワ大会を最後に終了し、「HYROX Elite Series」へ移行した。2026年6月22日からは単一レースでの一発勝負ではなく、シーズンを通じた成績を積み上げるポイント制の予選方式が導入されている。プロ層の制度化は、放映権とスポンサー収入を積み上げるための前提条件である。

より長期の焦点はオリンピックだ。2025年10月、オーストラリア・ウロンゴンで開かれたWorld Triathlon(世界トライアスロン連盟)の総会で、フィットネスレーシングがスイムランとともに新たなディシプリンとして承認された。これはIOCによる承認の前提条件にあたるが、それ自体が五輪種目化を意味するものではない。フュルステ氏は「World Triathlonの新ディシプリンとして認められたいま、いつかオリンピックの舞台に立つという野心はこれまでになく現実味を帯びた」と述べ、トエツケ氏はForbes Indiaに対し、LA 2028は時期尚早であり、ブリスベン2032の申請期間を狙うと明言している。並行して、2028年のロサンゼルス五輪に向けて映像制作への投資を増やし、「今後12カ月で劇的な変化が起きる」(Yahoo Finance)とも語る。同氏が描く到達点は「ニューヨークシティマラソンと全米オープンと、少しのコーチェラを混ぜたもの」であり、最終的には「世界の主要150都市で150大会」で拡大を止める構想だ。

日本市場は、この計画のなかで明確に上位に置かれている。FITNESS LOVEが8月9日に報じた幕張大会の総括によれば、HYROX Japan側はすでに2027年1月の大阪、2027年4月の名古屋を準備しており、2028年・2029年大会の準備にも着手している。開催日数を5日以上へ伸ばす案や、パートナーブースと物販を拡張してフェス化する「HYROX HOUSE」構想も語られた。横浜大会では日本在住者が参加者の半分未満だったが、大阪で半数を超え、幕張では大多数を占めるようになったという。海外からの遠征需要で立ち上げ、国内需要へ置き換えていくという、HYROXが各国で繰り返してきた展開パターンがそのまま日本でも進行している。

L Cattertonが実際に資本を入れるとすれば、価格の最適化、放映・スポンサー収入の開発、アフィリエイト網の収益化、そしてLVMHのブランド網とCHAMPのアスリート網を使った「フィットネスの高級化」が打ち手の中心になる。健康であること自体がステータスとして消費される市場で、月数万円のジム会費と2万〜3万円のレース参加費を厭わない30代以上の可処分所得層——それがこの取引で買われようとしている顧客基盤である。


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