キーワード: ElevenLabs, Mati Staniszewski, 音声AI, Sequoia Capital, シリーズD, シリコンバレーVC, ポーランド, IPO

ワルシャワから帝国理工へ ―― 数学少年の原風景

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Mateusz "Mati" Staniszewski は1995年、ポーランド・ワルシャワ近郊で生まれた。中等教育まではワルシャワ市内に転居して通学し、ポーランドでもトップクラスの進学校として知られる Copernicus Bilingual High School(ミコワイ・コペルニク・バイリンガル高校)を修了している。同校で出会ったのが、のちに ElevenLabs を共同創業する Piotr Dąbkowski(ピョートル・ドンプコフスキ、1994年12月生まれ)である。後年 Staniszewski 本人が複数のインタビューで語っているとおり、二人はティーンエイジャーの頃から「ハリウッド映画のポーランド語吹替の質の低さ」を共に嘆き合っていた仲で、ワンマン・ナレーター(ポーランド独特のレクター方式)が登場人物全員を平坦に読み上げる音声体験への違和感が、後年のスタートアップ着想の最深部にある。

英国に渡った Staniszewski は Imperial College London で数学を学び、2017年に学士号を取得している。Imperial 在籍中には学生主体の数学カンファレンス「Mathscon」を立ち上げ、数学の「楽しい側面」にフォーカスしたイベント運営を通じて、運営・資金集め・スピーカー誘致を一人称で経験した。Forbes やSifted など複数の媒体は、これが彼にとって「最初の起業実践」であり、のちの ElevenLabs での経営者像 ―― 創業期に1,700件超の応募から自ら採用面接を回したという有名なエピソード ―― の伏線になっていると報じている。同期のクラスメイトや友人による回顧では、Staniszewski は「目立つ秀才」というよりは「礼節をわきまえつつ目的に向かって粘り強く詰める実務家タイプ」であり、ポーランド人コミュニティの中でも控えめだが芯が強い人物として知られていた。

BlackRock と Palantir ―― 創業前の二つの修業

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Imperial College 卒業後、Staniszewski は Opera Software での短い経験を経て、英 BlackRock の Portfolio Analytics Group(PAG)に入社する。在籍14か月の間に、富裕層向け資産運用プラットフォーム「Aladdin Wealth」のローンチに関わり、ストラクチャード商品のモデリングを担当した。eFinancialCareers の関連記事は、彼が「BlackRock のジュニアアナリスト出身者として、わずか30歳で評価額10億ドル超(約1,550億円)のAI企業をつくった人物」として、欧州金融街でロールモデル的に語られていると伝えている。

その後、Staniszewski は Palantir Technologies に Deployment Strategist(デプロイメント・ストラテジスト)として転じ、約4年弱在籍した。Palantir のデプロイメント職は、Foundry/Gotham を政府機関や巨大企業の現場に持ち込み、データ統合からワークフロー再設計まで一気通貫で運用する実務職種で、創業前の Staniszewski は欧州・中東・公共セクター案件を中心に、現場の意思決定者と直接折衝する経験を積み重ねた。後年の彼が好んで使う「FDE 的に顧客に張り付く」という運営哲学 ―― ElevenLabs の Forward Deployed Engineering 部隊やエンタープライズ顧客成功チームの設計思想に直接反映されている ―― は、この Palantir 時代の DNA に起因していると Forbes は分析している。

一方、共同創業者の Piotr Dąbkowski は Oxford 大学計算機科学科を卒業後、Cambridge 大学で修士号を取得し、Google でリサーチ/機械学習エンジニアとして数年間勤務した経験を持つ。両者は、ビジネス/オペレーション側に強みを持つ Staniszewski と、ディープラーニングと音声合成に深い研究的知見を持つ Dąbkowski という補完的な布陣で、2022年5月に英国法人として ElevenLabs を立ち上げた。

ElevenLabs の誕生 ―― 字幕翻訳への不満から音声AIの世界標準へ

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ElevenLabs はその設立趣意書段階から、いわゆる「AIアプリケーション・スタートアップ」ではなく「研究先行のラボ」として始まっている。Andreessen Horowitz のジェネラル・パートナーである Jennifer Li が a16z のブログ「Where you build is who you are: the ElevenLabs story」で論じているとおり、ロンドン・ワルシャワ・ニューヨークという「米西海岸の外側」に主要拠点を置いたのは、多言語圏に直面する非英語話者の感性を組織のDNAに残すための意図的な選択であった。Jennifer Li は、ElevenLabs を「これまで投資した中で最も急速にスケールしたAI企業の一つ」と評し、フラストレーションを起点に置くプロダクトの体温の高さを評価している。

技術的には、ElevenLabs はゼロから自社で構築した深層学習ベースの音声合成モデル(Eleven Multilingual / Eleven v3 / Flash 系列)を中核に、テキスト読み上げ(TTS)、音声クローン、音声から音声への変換(STS)、Conversational AI / ElevenAgents、文字起こし用 Scribe、そして2026年4月に iOS で一般公開された ElevenMusic までを一気通貫で揃え、「Voice / Music / SFX をワン API・ワンサブスクリプションで提供する唯一のスタックを構築した」(Music Business Worldwide)と評されるに至っている。Variety や Billboard は、ElevenMusic と並行して発表された「The Eleven Album」が Liza Minnelli や Art Garfunkel といったレジェンドアーティストを擁し、業界レーベルとの提携を通じてリリースされた点を、Suno や Udio との差別化要因として位置づけている。

シリーズD ―― 5億ドルと評価額110億ドル

ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - シリーズD ―― 5億ドルと評価額110億ドル - 章扉ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - シリーズD ―― 5億ドルと評価額110億ドル - 図表1

ElevenLabs は2026年2月4日、5億ドル(約775億円)のシリーズD調達を発表し、ポストマネー評価額が110億ドル(約1兆7,050億円)に到達したことを明らかにした。リードは Sequoia Capital で、グロース部門パートナーの Andrew Reed が取締役会に加わった。同時に既存投資家のうち a16z は出資額を4倍、Iconiq は3倍に増額しており、BroadLight、NFDG、Valor Capital、AMP Coalition、Smash Capital といった既存陣容に加え、Lightspeed Venture Partners、Evantic Capital、Bond Capital という新規勢が参戦している。TechCrunch は、110億ドルという評価が2025年1月のシリーズC時点(3.3〜33億ドル、ICONIQ Growth と a16z が共同リード、調達額1.8億ドル=約279億円)の3倍超に相当することを強調している。

その後の3か月で投資家陣はさらに拡張された。Bloomberg と TechCrunch が2026年5月5日に報じたところによれば、同シリーズDのフォローオンとして BlackRock、Wellington、D.E. Shaw、Schroders ら大手機関投資家、NVIDIA、Salesforce Ventures、Santander、KPN、Deutsche Telekom といった事業会社、さらに Jamie Foxx、Eva Longoria、『イカゲーム』のクリエイターである Hwang Dong-hyuk(黄東赫)ら著名人投資家が新たに名を連ねた。Tech.eu は、これによりシリーズDの最終的なエクイティ実額が当初発表より積み増され、累計調達額は7.81億ドル(約1,210億円)超に達したと伝えている。

なお、これらフォローオン投資家の参加配分や個別出資額については、ElevenLabs および各報道機関ともに開示しておらず、本稿でも内訳に立ち入らない。ただし、機関投資家・戦略事業会社・著名人という三層構造は、Bloomberg が事情に詳しい関係者の証言として「IPO 準備への布石」と位置づけている点に注意が必要である。

シリコンバレーVCの視点 ―― 「音声はAIの次のOSである」

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シリコンバレーの主要VCが ElevenLabs に集中投資している背景には、共通したテーゼがある。それは「テキストでも画面でもなく、音声こそが次世代のAIインターフェースの中核を占める」という確信である。

ICONIQ Growth は、自社ブログ "Tripling Down on ElevenLabs" において、ジェネラル・パートナーの Seth Pierrepont、パートナーの Ritika Pai、Investor の Anna Textor の連名で、Mati と Piotr が初期から掲げてきた「最も人間らしい通信形態としての音声が、人と知的システムの架け橋になる」というビジョンが現実化したと位置づけている。同社は、ElevenLabs を「音声と、音声がつくられる方法そのものを再定義した」企業と評価し、シリーズB/C/Dと三度にわたり追加投資を行った点を「コンビクション・ベットの典型例」として説明している。

Sequoia Capital の Andrew Reed は、シリーズDの公表に際して「Mati と Piotr は卓越した創業者であり、リーダーである。彼らは ElevenLabs を、世界のAIエコシステムで最も成功し、かつ最も影響力を持つ企業の一つに育てた」とコメントし、世界水準の研究、創造性を解き放つツール、そしてエンタープライズ向け音声エージェントを一つの組織で同時にスケールさせている希少性を強調した。Sequoia のグロース部門は、近年 OpenAI、Anysphere、Glean といった LLM 系巨大ユニコーンへの集中投資で知られるが、Andrew Reed は同社の「次に押さえるべきモダリティ層」として音声を選び、ElevenLabs をその主役に据えた格好になっている。

a16z 側からは、Jennifer Li が "Where you build is who you are" において「ヨーロッパに本拠を構えるという立地そのものが組織文化を形作っている」と分析し、英語以外の言語圏でリアルな音声体験の貧弱さを身体感覚として知っている創業者たちの存在を競争優位として論じた。a16z はシードに近いシリーズA段階(2023年6月、1,900万ドル=約29億円)で参画して以降、シリーズBで8,000万ドル(約124億円)のラウンドを共同リードし、シリーズC・Dでも増額していることから、PitchBook ベースの計算では同社単体での累計エクスポージャーが1億ドル(約155億円)の単位を超えると見られている。

Lightspeed Venture Partners や Bond Capital(Mary Meeker 率いるグロース系VC)がシリーズDから新規参戦した点は、シリコンバレーの古典的グロース投資家のあいだで ElevenLabs が「IPO候補リスト」に格上げされたことを示す象徴的な動きとして The SaaS News や Dataconomy が報じている。Mary Meeker は自身の "Trends" レポートで近年、生成AIの普及曲線をインターネット黎明期と並べて分析しており、Bond が ElevenLabs に乗ったことは「音声インターフェースが商業インターネットの黎明期に匹敵するインフラ層になる」という見立てを公式に裏付けたとも解釈できる。

戦略事業会社(CVC)の側から見ると、NVIDIA は2026年2月に Google Cloud と共同で ElevenLabs と複数年契約を結び、Blackwell 世代の RTX PRO 6000 GPU を搭載した G4 仮想マシンで音声モデルの学習・推論を支える計画を発表した。これは単なる出資というよりも、半導体・クラウド・モデルレイヤーを跨いだ垂直統合的アライアンスであり、シリコンバレーのインフラ層が ElevenLabs を「公式 voice 推論パートナー」として認定したに等しい。Salesforce Ventures、Deutsche Telekom、Santander、KPN などの事業会社投資は、それぞれが自社の顧客接点(CRM、通信、銀行)に ElevenAgents を組み込む前提での戦略的出資という色彩が濃く、これも独立系VCの投資ロジックとは性格が異なる。

シリコンバレーの投資家コミュニティが警戒している論点もある。MVP Capital や Sacra の業界分析、PitchBook のレポートは、揃って「Suno(音楽生成)、CartesiaHumePlayHT、そして Mistral がオープンソースで放った Voxtral TTS など、競合のコモディティ化圧力が日に日に強まっている」点を指摘する。実際、Mistral の Voxtral TTS は2026年3月のブラインドテストで ElevenLabs Flash v2.5 に対し62.8%の選好率を獲得しており、これは「世界水準のモデルがオープン・ウェイトでも実装可能になった」ことを意味する。Sequoia と a16z の今回の増額は、こうしたコモディティ化リスクを上回るスピードで ElevenLabs が「モデル単体ではなく、エージェント/音楽/クリエイティブを束ねる垂直スタック」に進化できるかどうかへの賭けでもある。

ARR と顧客基盤 ―― 5億ドル超の到達

ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - ARR と顧客基盤 ―― 5億ドル超の到達 - 章扉ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - ARR と顧客基盤 ―― 5億ドル超の到達 - 図表1

ElevenLabs の業績推移は、シリコンバレーの過去のSaaSユニコーンと比較してもなお異例の急角度である。2025年末時点のARRは約3.3億ドル(約512億円)で、Mati 本人が2026年1月に TechCrunch に対して認めた数字である。SaaStr の分析では、ARRゼロからこの水準への到達に要した期間は24か月で、これは Twilio が同じ水準に到達するのに要した8年と比較しても圧倒的に早い。Q1 2026にはネット新規ARRが1億ドル(約155億円)追加され、四半期末時点のARRは約4.5億ドル(約698億円)に達したと CEO 自身が CNBC のインタビューで公表している。さらに、2026年5月時点では5億ドル(約775億円)の大台を超え、エンタープライズが全社売上の51%を占めるなど、収益構造がコンシューマー主導からエンタープライズ主導へと反転したことが報告されている。

顧客基盤は当初のクリエイター層(オーディオブック、ポッドキャスト、YouTube)から急速に多角化した。エンタープライズ事業では、Cisco の Webex AI Agent への音声提供、IBM watsonx Orchestrate への TTS/STT 統合、Adobe や Epic Games といったクリエイティブ/ゲーム業界の主要プレイヤーへの導入、そして Washington Post や TIME といったメディア、HarperCollins といった出版社、さらに Deutsche Telekom、Square、Revolut、ウクライナ政府といった顧客が並ぶ。インドの巨大 EC プラットフォーム Meesho が ElevenAgents を活用して会話型ショッピング体験を構築している点は、Mati 本人が Pigment Podcast のインタビューで繰り返し言及している成功事例の代表格である。

ElevenMusic と新事業 ―― 音声から「音」全体へ

ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - ElevenMusic と新事業 ―― 音声から「音」全体へ - 章扉ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - ElevenMusic と新事業 ―― 音声から「音」全体へ - 図表1

2026年4月1日に iOS で公開された ElevenMusic は、Suno や Udio の対抗馬として位置づけられている。Music Business Worldwide や Music Ally の報道によれば、ElevenMusic は単なる音楽生成ツールではなく、フィードを持つ「リスニング+リミックス可能なソーシャル・ミュージック・サービス」を志向する。ユーザーは自然言語プロンプトで一日最大7曲を生成でき、他人の曲をテキストでリミックスする機能や、約4,000人のヒューマン・アーティストのトラックを楽しむフィードが用意されている。さらに、Liza Minnelli や Art Garfunkel といった伝説的アーティストが参加した『The Eleven Album』を業界レーベル経由でリリースする戦略は、Suno が著作権訴訟で訴追されているコンテキストとは対照的に「権利者と組む」アプローチを明確にしたものといえる。PYMNTS は同じタイミングで「Taylor Swift 側が AI 音楽生成プラットフォームに対する法的措置を強化している中で、ElevenLabs はあえて権利者寄りの陣形を敷いた」と論評している。

事業ポートフォリオ全体としては、Mati は CNBC・London Tech Week・Pigment Podcast 等のあらゆる場で「我々のミッションは音声に閉じない。テキスト・音声・音楽・効果音を含むあらゆる『音』の生成と理解を再定義することにある」と繰り返し語っており、ElevenAgents(会話型エージェント基盤)、ElevenCreative(クリエイター向けスタジオ)、Scribe(高精度音声認識)、ElevenMusic を四本柱に据える戦略を明示している。

ディープフェイク規制とガバナンス ―― 急成長の影に立つ最大のリスク

ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - ディープフェイク規制とガバナンス ―― 急成長の影に立つ最大のリスク - 章扉ElevenLabs CEO ポーランド出身、Mati Staniszewski(マテウシュ・マティ・スタニシェフスキー) - ディープフェイク規制とガバナンス ―― 急成長の影に立つ最大のリスク - 図表1

急成長と並行して、ElevenLabs は規制当局からの厳しい視線にもさらされている。2024年の大統領選サイクル中に、同社の音声合成技術が無断クローンによるロボコール(自動音声電話)に利用された事案が複数報告され、米国内の規制議論を一段引き上げる結果となった。2026年4月16日、米上院共同経済委員会(Joint Economic Committee)のランキング・メンバーである Maggie Hassan 上院議員(民主党/ニューハンプシャー州)は、ElevenLabs、LOVO、Speechify、VEED の4社の CEO 宛てに公開書簡を送付し、詐欺目的での音声クローン利用の検知体制、本人同意の確認手続き、公人・未成年への保護策、音声ウォーターマーキングの実装状況、ログ保全、警察への通報体制について回答を求めた。書簡の冒頭で引用された数字は、FBI が報告した8億9,300万ドル(約1,384億円)のAI音声詐欺被害、および2027年までに年間最大400億ドル(約6.2兆円)に達するとの民間推計である。

ElevenLabs はこれに対し、ElevenLabs の広報担当者が Axios に対し「我々はテクノロジーの誤用を防ぐための包括的なセーフガードを保持しており、有名人や公人のボイスクローンをブロックし、自動・人手の両面でポリシー違反をレビューしている」と述べ、ウォーターマーキング、Voice Verification、ポリシー違反検知、コンテンツ来歴情報(C2PA系プロビナンス)について段階的に整備していると説明している。Sifted の Mati 本人インタビューでも、ディープフェイク対策は「ローンチ初日からの最重要トピック」であり、Disney などの IP ホルダーとの協業もこの文脈で語られている。

欧州側では、EU AI Act の高リスク・生成AI規定の段階適用が2026年中盤以降に本格化することが予定されており、ElevenLabs はロンドン・ワルシャワに主要拠点を持つ性質上、欧州規制対応をシリコンバレー競合よりも早期に組み込む必要に迫られている。これは長期的にはコンプライアンス・コスト要因である一方、Mati 自身が London Tech Week 2026 の登壇で示唆したとおり「欧州拠点であることが、規制とのコ・デザインを内製できる強み」にもなり得る点が、欧米の VC 双方で再評価されている。

今後の動き ―― IPO、Klarna 取締役、新興市場展開

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向こう12〜18か月で計測される主要なマイルストーンは、概ね三つに集約される。

第一に IPO である。Tech.eu と CNBC は2026年2月のシリーズDの段階で、Mati が「IPO に向けて準備を進めている」と発言したことを明確に報じている。具体的なタイムラインは公表されていないが、Bloomberg は事情に詳しい関係者の証言として、機関投資家・戦略 CVC を巻き込んだフォローオンが行われたこと自体が「IPO 直前のシンジケート形成」に相当すると論じており、ARR が10億ドル(約1,550億円)を超えた局面でのプライシングを目論む可能性を指摘している。なお、現時点で SEC へのファイリングや上場主幹事の選定に関する公式発表は行われておらず、本稿でも憶測ベースの数字には踏み込まない。

第二に、新興市場・ローカライズ戦略の本格展開がある。シリーズDの資金用途として TechCrunch が言及したのは、米欧に加えてインド、日本、シンガポール、ブラジル、メキシコといった非英語圏でのオフィス開設・人員拡充である。日本市場についていえば、現時点(2026年5月)で公式の日本法人設立は確認できないが、ElevenLabs のモデルは日本語を含む30言語超に対応しており、エンタープライズ顧客向け営業の現地化が次の四半期から段階的に始まると見られている。Mati 自身が UNBOUND(HubSpot のマーケティング/セールスイベント、2026年9月16〜18日開催予定)で基調講演を行うことが確定しており、エンタープライズ展開の地政学的拡張がさらに語られる見通しである。

第三に、Mati 個人としての外部ボード参加が、業界横断のシグナルとして注目されている。2025年5月に、彼は Klarna Group PLC の取締役会に就任した。Klarna の Sebastian Siemiatkowski CEO は自身の X 投稿で「Mati の AI 知見、ElevenLabs での実績、ポーランド出身というルーツ、複雑な姓まで似ているところまで含めて理想的なボードメンバー」と歓迎の意を表明している。AI と金融サービスの結節点で起こる「AI フィナンシャル・アシスタント」の設計に対し、Mati が外部取締役としてどう影響を与えるかは、シリコンバレー/欧州フィンテック双方の VC が観察している論点である。

同僚・業界からの評価 ―― 31歳ビリオネアの実像

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Forbes は2026年版ビリオネアリストで Staniszewski を世界2,274位(純資産推計11億ドル=約1,705億円)にランクインさせている。同氏と Dąbkowski はそれぞれ ElevenLabs の約15%の持分を保有しているとされ、シリーズDの評価額110億ドルが純資産推計のベースになっている。2025年12月号で Forbes 誌は二人を表紙に起用し、「小さなポーランド系スタートアップがいかにして AI の声の中心になったか」を巻頭特集にしている。

組織内部の評価は、外部からの絶賛と同じトーンに均質ではない。Glassdoor の36件のレビューを集計すると、総合評価は5点満点中4.3点、77%の社員が友人に推薦したいと回答するなど、技術的に最先端の領域で大きな裁量を得られる職場として高く評価されている。NYC・ロンドン・ワルシャワを中心に30か国以上から人材を集める文化的多様性、エンジニアリングの所有権の大きさ、創業者との距離の近さなどがポジティブ要因として挙げられる。一方で、ワーク・ライフ・バランスの評価は3.8点と低めであり、週60時間超の労働が常態化しているという声、Forward Deployed Engineering 部門での縁故採用や派閥的なマネジメントへの批判も少数ながら存在する。eFinancialCareers は、Staniszewski が CEO として ARR 2億ドル(約310億円)超に達した段階でも全採用候補と一次面接を続けていた逸話を取り上げ、Palantir 出身者特有の「現場張り付き」スタイルをそのままスケールさせている点を、強みであると同時に組織の成長痛の源とも分析している。

総じて、シリコンバレーの著名VCコミュニティが Staniszewski を評価する核心は、彼が「テクニカルな天才」というよりも「言語・規制・運用・営業のすべての地表面で粘り強く制圧線を引ける、極めて稀なディプロイメント型 CEO」であるという点に収斂する。Andrew Reed(Sequoia)、Jennifer Li(a16z)、Seth Pierrepont(ICONIQ)の三者がそれぞれ別個に「彼は卓越した founder/leader である」と公的に表明している事実は、AI バブルの中で「ハイプではなく実行で選ぶ」VCの審美眼が、ポーランド出身の31歳に集約していることを物語っている。次の節目は、シリコンバレーが長く待っている AI 系IPOの号砲であり、その鐘を最初に鳴らすのが ElevenLabs になるかどうか ―― 2026年後半から2027年前半にかけての最大の観察点である。


Sources