33年の歴史を刻む白書が「ウェブ無料公開」へ転換した

『情報メディア白書』は、新聞・放送・出版から音楽・映画・ゲーム・ネットサービスまで、日本の情報メディア産業を横断的に俯瞰する数少ないデータブックである。電通が1993年から毎年刊行を続けてきた定番資料で、これまではダイヤモンド社から書籍として市販されてきた。広告会社やメディア企業の経営企画、大学やシンクタンクの研究者にとっては、業界全体の市場規模と最新動向を一冊で把握できる「業界地図」として定着している。
その白書が、2026年版で大きく形を変えた。電通は2026年5月21日付のプレスリリースで、本年版から市販の書籍ではなく、自社ウェブサイト上でのウェブ版として無料公開する形式に切り替えたことを明らかにした。掲載先は電通コーポレートサイトの「ナレッジ&データ」コーナー(dentsu.co.jp/knowledge/infomedia/2026/)で、各分野の基礎データや最新動向を数百点に及ぶ図版で解説し、特集レポートを併載する構成だ。編集には、メディア調査を長年手がける株式会社メディア開発綜研が協力している。電通は、収録するデータや情報を一度きりではなく「定期的に更新していく予定」としており、年に一度の刊行物から、随時アップデートされる生きたデータベースへと性格を変えつつある。
シリコンバレーの投資家の目から見れば、この一手は単なる無料化ではない。30年以上にわたって有償で囲い込まれてきた一次産業データが、検索可能で参照しやすいウェブ形式で開放されることは、業界全体の「共通インフラ」を一段引き上げる動きに映る。生成AIが信頼できる構造化データに飢えている時代に、出所の明確な業界統計をオープンに置くことは、引用・分析・二次活用の裾野を広げ、結果として発行元である電通の知的権威を強化する。データを無料で配り、信頼と参照網を蓄積するという発想は、米国のVCがしばしば評価する「オープンソース型の堀(モート)」の構築に通じる。
電通メディアイノベーションラボ——日本の「メディアの体温計」を担う組織

白書の企画・編集・執筆を担うのが、電通メディアイノベーションラボである。同ラボは、メディアと広告に関する調査研究と対外的な情報発信を担う電通社内のシンクタンクで、2017年に現在の名称・体制で発足した。電通が長年積み重ねてきたメディアおよびオーディエンス研究の蓄積を基盤としており、その系譜は電通総研のメディア研究部門にさかのぼる。
このラボの存在感を支えているのは、業界の「定点観測」を一手に引き受けている点にある。毎年2月から3月にかけて発表され、メディア各社の決算説明や報道で必ず引用される「日本の広告費」の取りまとめ、広告と景気の関係を年表化した「広告景気年表」、そして本稿で扱う『情報メディア白書』という、業界の基礎指標がいずれも同ラボの手から生まれている。いわば日本のメディア産業の体温を測り続ける計測器のような役割だ。加えて、生活者のメディア接触習慣を類型化する「メディアライフスタイル」研究や、Z世代の幸福感とメディアの関係を大学と共同研究するなど、定量データと生活者インサイトの両面から発信を続けている。
2026年5月21日に日本マーケティング協会で開かれた白書刊行セミナーには、メディアイノベーション研究部長の長谷川想氏、研究主幹の森下真理子氏と榊原理恵氏といったラボの中核メンバーが登壇し、白書の読みどころを生活者調査の視点から解説した。組織として顔の見える研究者が継続的に分析を発信している点は、データの信頼性を担保するうえで重要な要素である。
13業種から10分野へ——産業地図を引き直した意味

2026年版で最も構造的な変化は、情報メディア産業の区分そのものを引き直したことだ。これまで13業種として整理してきた産業を、新聞、出版、音楽、劇映画・映像ソフト、アニメーション、ゲーム、ラジオ・テレビ、ウェブサービス、EC・通信、イベントの計10分野へと再編成した。
この再編は、単なる項目の統廃合ではなく、産業の輪郭が溶け合っている現実を反映したものだ。かつては紙の新聞、地上波のテレビ、店頭のパッケージといった「メディアの容れ物」ごとに産業が分かれていた。しかし今日では、同じ映像コンテンツがテレビ放送・劇場・配信・SNSを横断して流通し、同じ物語がマンガ・アニメ・映画・ゲームへと姿を変えて広がっていく。容れ物で産業を切り分ける発想そのものが、生活者の実際の情報行動とずれ始めている。10分野への集約は、その現実に区分を寄せる作業にほかならない。
メディアの境界が溶けていくこの現象は、シリコンバレーで長く語られてきた「アンバンドリング(分解)とリバンドリング(再結合)」の議論と重なる。レガシーな垂直統合型のメディア事業が機能ごとに分解され、配信・課金・発見・コミュニティといったレイヤーが再び別の組み合わせで束ね直されていく。白書が産業区分を引き直したこと自体が、日本のメディア産業がこの再結合フェーズに入ったことの静かな宣言と読める。
特集レポート2026「変容する情報潮流の現在地」が描く生活者起点の情報空間

2026年版の目玉が、ラボメンバーが分析・執筆した特集レポート「変容する情報潮流の現在地」である。タイトルが示すとおり、AIとデジタル技術が生活者の情報行動をどう変えつつあるかを「変容する情報潮流」として捉え、その現在地を生活者の側から見渡すことに主眼が置かれている。
刊行セミナーの構成を見ると、特集の問題意識がよく分かる。第一に「生活者調査から読み解く情報空間の現状と課題」として、アテンション(注目)の獲得競争の激化や、偽情報・誤情報の拡散といった情報空間の構造変化を、生活者調査のデータから読み解く。第二に「メディアは伴走者へ」というテーマで、動画と生成AIがもたらす新しい「学び」の形を論じる。第三に、ラボが実施する「全国メディアプロフィールサーベイ2025」を用い、地方と都市部でメディア行動がどう異なるかを比較する。そして第四に、海外で進む「リーチからアテンションへ」という評価軸の転換、第五に「AI時代に生活者の情報行動はどうなるか」という将来展望が続く。
ここで一貫しているのは、メディアを「送り手の都合」ではなく「生活者の情報行動」から捉え直す姿勢だ。何がどれだけ届いたか(リーチ)ではなく、生活者が何にどれだけ心を向けたか(アテンション)を起点に据える。この視点の転換は、後述するとおり、世界のマーケティングと投資の潮流とも正確に同期している。
生成AIと動画が変える「学び」——メディアは伴走者へ

特集が掲げる象徴的なキーワードが、「メディアは伴走者へ」という言葉だ。これまでメディアは、情報を一方向に「届ける」存在だった。それが生成AIと動画の普及によって、生活者一人ひとりの疑問や関心に寄り添い、対話しながら理解を助ける「伴走者」へと役割を変えつつある、という見立てである。
具体的な事象に落とせば、分からないことがあればまず動画で「やり方」を学び、生成AIに問いかけて「自分の文脈に合わせた答え」を得る、という情報行動が、若年層を中心に当たり前になりつつある。テキストを読んで自力で組み立てる学びから、動画で手順を見て、AIと往復しながら腑に落とす学びへ。メディアは知識の「保管庫」から、理解の「並走者」へと移行している。電通はこの変化を、5月25日に公開した特集記事「生成AI、動画が大きく変える『学び』」で掘り下げている。
この「メディアの伴走者化」は、グローバルの生成AIトレンドと地続きだ。シリコンバレーでは、検索という「青いリンクの一覧」が、対話型の「答えそのもの」に置き換わる転換が急速に進んでいる。生活者は情報の所在を教わるのではなく、文脈化された答えを直接受け取ることを期待し始めた。白書が日本の生活者調査から描く伴走者化は、この世界的な「発見レイヤーの再設計」が、日本の日常にも確かに浸透していることを裏づけている。
「リーチ」から「アテンション」へ——世界で進む評価軸の地殻変動

特集が海外動向として強調するのが、マーケティングの評価軸が「リーチ」から「アテンション」へ移りつつあるという潮流だ。これは電通グループが別途公表している「2026グローバルメディアトレンド調査」とも響き合う論点で、同調査はアルゴリズムが支配する時代にあっても変わらない人間の行動として、シンプルさ(Simplicity)、社交性(Sociability)、アテンション(Attention)の三つを挙げている。
アテンションが評価軸の中心に浮上した背景には、明快な構造変化がある。広告や情報があふれ、生活者の可処分時間が一定である以上、本質的に希少なのは「枠の数」ではなく「注目」そのものだ。同調査は「人々は広告を読むのではなく、興味を惹くものを読む」と指摘し、ブランドは広告の量よりも質を重視し、アテンションの長期的な効果を測る方向へ向かうべきだと論じる。さらに、AIエージェントによる「デジタル・デリゲーション(委任)」が消費者に新たな利便をもたらす一方、戦略なきAI活用はかえって課題を複雑化させると警告している。
この「アテンション=新しい通貨」という発想は、いまやシリコンバレーの投資家コミュニティの共通言語でもある。注目という有限資源をいかに獲得し、計測し、長期のブランド価値へ転換するか——その精度を高めるアテンション計測やクリエイティブ品質の技術領域は、メディアテック投資の有望テーマとして注目を集めてきた。白書が生活者起点でこの転換を裏づけたことは、日本市場でも「届いた数」から「向けられた注目」へと、投資とKPIの重心が移っていく流れを後押しする。
ネット広告4兆円・初の過半数——広告の主役交代と動画・ソーシャルへの集中

評価軸の転換は、お金の流れにも明確に表れている。ラボが2026年3月5日に発表した「2025年 日本の広告費」によれば、2025年の総広告費は8兆623億円(前年比105.1%)と、5年連続で成長し4年連続で過去最高を更新した。なかでも歴史的な節目となったのが、インターネット広告費が4兆459億円(前年比110.8%)と1996年の推定開始以来初めて4兆円を突破し、総広告費に占める構成比が50.2%と初めて過半数を超えたことだ。ネット広告がついに「広告の主役」の座を数字の上でも確定させた格好である。
対照的に、テレビ・新聞・ラジオ・雑誌のマスコミ四媒体は2兆2,980億円(前年比98.4%)と横ばいにとどまった。内訳ではテレビメディアが1兆7,556億円(同99.7%)、新聞が3,136億円(同91.8%)、雑誌が1,135億円(同96.3%)で、新聞の約8%減が目立つ。ネット広告とマスコミ四媒体の差は約1兆7,500億円に開き、両者の差が約2,500億円だった2021年から、わずか4年で7倍に拡大したことになる。
さらに重要なのは、ネット広告の内部でも地殻変動が進んでいる点だ。ビデオ(動画)広告は前年比121.8%の1兆275億円と初めて1兆円を突破し、ソーシャル広告は1兆3,067億円で構成比が4割に迫る。注目が集まる場所——縦型のショート動画とSNSのフィード——に、広告費が吸い寄せられている。前章で見た「アテンションへの移行」が、媒体別の数字としてそのまま可視化されているのだ。電通はインターネット広告媒体費が2026年に3兆5,840億円へ拡大すると予測しており、この流れは当面続く見通しである。

IP経済圏の胎動——マンガ起点の横断型コンテンツが世界へ

白書が10分野のデータから浮かび上がらせるもう一つの大きな絵が、「IP経済圏」の拡大である。マンガや小説といった出版発のコンテンツが、アニメ・映画・ゲーム・グッズへと姿を変えて広がっていく横断型の展開が、一部のヒット作に限られた現象ではなくなりつつある。
その起点に位置するのが出版、とりわけマンガだ。2024年の出版市場は1兆5,716億円で、内訳は紙が約1兆円、電子が5,600億円余り。このうちマンガ市場は約7,000億円と出版市場全体の約45%を占め、デジタルコミックの伸長が産業全体を下支えしている。マンガは、IP(知的財産)を生み出す豊かな苗床として機能している。
そこから育ったIPの行き着く先が、いまや世界市場だ。日本動画協会の「アニメ産業レポート2025」によれば、2024年のアニメ産業市場は3兆8,407億円(前年比114.8%)と過去最高を更新し、その牽引役は海外市場だった。海外市場は2兆1,702億円(前年比126.0%)と初めて2兆円を突破し、国内市場の1兆6,705億円(前年比102.8%)を大きく上回る規模に達している。放送コンテンツの海外輸出ではアニメが全体の約9割を占めるなど、日本のコンテンツ輸出はアニメが主役だ。
シリコンバレーの視点では、ここに日本固有の強い「堀」がある。生成AIがテキストや画像の大量生産を限りなく安価にする時代に、長年の愛着とファンダムを伴って育まれたオリジナルIPは、容易には複製も陳腐化もされない希少資産だ。ストリーミングという世界的な配信網が、その日本IPを国境を越えて現金化する装置として働いている。マンガを起点に多メディアへ展開する「IP経済圏」は、AIによってコモディティ化する世界において、むしろ価値が複利で積み上がる数少ない領域として、投資家の関心を集めている。

映像ビジネスの主戦場はデジタルとグローバルへ

映像とエンタメの各分野を子細に見ると、「主戦場がデジタルとグローバルへ完全に移った」という構図がいっそう鮮明になる。
劇映画市場は2024年に2,070億円(前年比93.5%)と、記録的だった前年から反動減となったが、その内訳では邦画が1,558億円(前年比105.1%)と初めて1,500億円を超え、国内制作の存在感が高まった。劇場用アニメの推定興行収入は903億円に達し、興収100億円超の作品も生まれている。一方、映像ソフト市場は8,276億円で、その8割弱にあたる6,499億円を有料動画配信が占める。なかでもアニメ配信は2,508億円と映像ソフト配信の47.5%を担い、配信がアニメ需要の中心的な受け皿になっていることが分かる。パッケージから配信へ、国内から海外へという二重のシフトが、映像ビジネスの座標を塗り替えている。
音楽でも同じ重力が働いている。日本レコード協会によれば、2024年の音楽配信売上は1,233億円(前年比106%)と11年連続で増加して過去最高を更新し、うちストリーミングが1,132億円(前年比107%)で配信売上の91.8%を占めた。所有から接続へ、ダウンロードからストリーミングへという移行は、もはや後戻りしない局面に入っている。
ゲームもまた、デジタルとグローバルが主軸だ。家庭用ゲームの店頭パッケージ販売は2024年に3,013億円(前年比25.4%減)と大きく落ち込む一方、ダウンロードやモバイルを含む国内ゲームコンテンツ市場は2兆3,961億円規模を保ち、世界のモバイルゲーム市場は12兆4,103億円(前年比112.3%)に達した。店頭の縮小と配信・モバイルの拡大が同時に起きるこの構図は、映像・音楽と完全に相似形である。レガシーな物理流通が縮み、グローバルなデジタル配信が伸びる——白書の各分野データは、判で押したように同じ物語を語っている。

シリコンバレーVCの視点——アテンション、AIエージェント、データの希少性

最後に、これらの断片をシリコンバレーの投資家のレンズで一枚の絵に統合したい。白書が生活者起点で描いた「情報潮流の変容」は、世界のメディア・テックで起きている地殻変動と、驚くほど正確に同期している。
第一の論点は、発見レイヤーの崩壊と再設計だ。生成AIは「検索して、リンクを踏んで、サイトを読む」という従来の情報消費の連鎖を断ち切りつつある。海外の各種調査・報道によれば、Google検索の相当割合が、クリックを生まないまま検索結果上の要約で完結する「ゼロクリック」化しており、ニュース関連の検索ではその傾向がさらに強いとされる。出版社・メディアサイトへの検索流入は世界的に大きく落ち込み、英大手DMGメディアのように特定の検索で流入がほぼ消失したと報じられる例もある。Googleが2026年のI/Oで検索を「AIモード」中心へ刷新したことは、この流れを決定づけた。白書が日本の生活者調査から捉えた「メディアの伴走者化」と「アテンション競争の激化」は、まさにこの世界的な発見レイヤーの再設計が、日本にも及んでいることの裏返しである。
第二の論点は、新しい「堀」がどこにあるかだ。AIがコンテンツ生成を限界費用ゼロに近づけるほど、複製できないものの価値が際立つ。すなわち、独自の一次データ、愛着を伴うオリジナルIP、そして生活者の注目(アテンション)そのものである。日本の強みは明確にIPにある。マンガを起点に世界へ広がるアニメ経済圏は、AIにコモディティ化されにくい希少資産であり、ストリーミングという配信網がそれを世界規模で現金化している。海外売上が2兆円を超えたアニメ産業は、その堀がすでに巨大なキャッシュフローを生んでいる何よりの証拠だ。投資家が日本のメディアセクターに見出す妙味は、放送枠やパッケージといった溶けゆく資産ではなく、この複利で育つIPと、注目を計測し収益へ変換する技術にある。
第三の論点は、データの希少性をめぐるパラドックスだ。生成AIの時代において最も価値ある資源は、信頼でき、出所が明確で、構造化された一次データである。その意味で、電通メディアイノベーションラボが30年以上積み上げてきた業界統計を、よりによってこの局面で無料のウェブ版として開放したことは示唆に富む。希少だからこそ囲い込むのではなく、開放して参照網と権威を握る——データを配って信頼を蓄える発想は、オープンソースが商用ソフトの世界を塗り替えたのと同じ構図だ。情報メディア白書2026は、その内容において情報潮流の変容を記録しているだけでなく、無料公開という形式そのものによって、データが最も希少な資産となった時代の新しい競争の作法を、静かに体現しているのである。