AIに「縮みにくい結晶を」と注文する

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「押しつぶしても縮みにくい結晶がほしい。目標は200ギガパスカル」。そう条件を打ち込むと、AIが原子の並び方の設計図を描いて返してくる。

米Microsoft(マイクロソフト)の研究チームがこうして描かせたのは、タンタルとクロムと酸素でできた結晶だった。中国の深圳先進技術研究院が設計図をもとに実際に合成して測ると、値は169ギガパスカル。注文との差は2割以内に収まった。この成果は、生成AI「MatterGen(マタージェン)」の論文として2025年1月に科学誌ネイチャーに掲載され、材料開発のやり方を変える一歩として注目を集めた。

ところが、話はそこで終わらなかった。結晶構造を分析する研究者のミケル・ユールスホルト氏が、実際にできた物質は1972年に報告済みの化合物と同じもので、しかもMatterGenの学習データに含まれていたと指摘したのだ。この論文は2026年、英国王立化学会の学術誌マテリアルズ・ホライズンズに掲載された。

AIは、本当に「まだ誰も知らない材料」を見つけられるのか。その答えに、世界の化学メーカーや半導体メーカー、そして投資家が巨額の資金を賭け始めている。日本から名乗りを上げているのが、AI企業のPreferred Networks(プリファードネットワークス、PFN)と石油元売り最大手のENEOSが生んだ「Matlantis(マトランティス)」。米国の代表格が、MicrosoftのMatterGenだ。同じ「材料探索AI」と呼ばれても、両者の役割はまったく違う。

材料探索AI(マテリアルズ・インフォマティクス)とは

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スマートフォンの電池、半導体チップの細い配線、自動車の排ガスをきれいにする触媒。製品の性能は中に使われている材料で決まり、材料の性能は、どの原子がどう並んでいるかで決まる。

新しい材料を探す仕事は、レシピのない巨大な厨房で新しい料理を生み出す作業に似ている。周期表には100種類を超える元素があり、どれを選び、何対何で混ぜ、どう並べるかの組み合わせは天文学的な数になる。これまでは研究者が経験と勘で候補を選び、一つずつ作っては測る方法が中心だった。発見から製品になるまで10年以上かかることも珍しくない。

実験の前に、コンピューターで確かめる方法もある。量子力学にもとづいて電子のふるまいを計算する「第一原理計算」だ。精度は高いが、とにかく重い。燃料電池の電極に使う触媒の表面で原子がどう並ぶかを調べる計算では、2,000個から3,000個のCPUを数か月動かして、ようやく数個の結果が得られるほどだった。

この遠回りを、データとAIで近道に変えようというのが、マテリアルズ・インフォマティクス、略してMIである。やり方は大きく四つある。

一つ目は、過去の実験データを機械学習にかけて「この配合なら、この強さになりそうだ」と予測する方法だ。国内ではMI-6(エムアイシックス)が、実験データをためて分析し、次の実験を決めるためのクラウドサービス「miHub(ミハブ)」を展開し、2026年5月に導入が200社を超えた。二つ目は、重い物理計算の答えをAIに大量に覚えさせ、同じ計算を何万倍もの速さで再現する方法で、Matlantisはここに入る。三つ目は、画像生成AIのように、条件を与えて新しい材料の構造そのものを描かせる方法で、MatterGenが代表例だ。そして四つ目が、ロボットが休みなく合成と測定を繰り返す「自律実験室」で、AIの予測を現実の物質で確かめる役目を担う。

効果の大きさを示す例がある。Microsoftと米パシフィック・ノースウエスト国立研究所は、3,260万通りの候補物質をAIでふるいにかけ、安定しそうな約50万種類から、最終的に18種類まで絞り込んだ。そこから合成した新しい固体電解質は、電池に使うリチウムを約7割減らせる可能性があり、材料から動く試作品ができるまでの期間は9か月足らずだった。

落とし穴もある。Google DeepMind(グーグル・ディープマインド)は2023年、AIで220万種類の結晶構造を見つけ、うち38万種類が安定だと予測したと発表した。これに対し、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校のアンソニー・チータム氏とラム・セシャドリ氏は、「新規性、信頼性、有用性の三つを満たす化合物の証拠は乏しい」と論文で批判した。計算上は安定でも、実際に作れて、しかも役に立つとは限らない。この溝をどう埋めるかが、材料探索AI全体を貫くテーマになっている。

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Matlantisとは:原子の動きを数万倍速で再生するシミュレーター

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Matlantisは、原子1個1個の動きをコンピューターの中で再生するシミュレーターだ。電池の中でリチウムが結晶のすき間をすり抜けていく様子や、触媒の表面に分子が吸いついて反応する様子を、実験の前に画面の上で確かめられる。

売りは速さにある。先ほどの燃料電池触媒の計算は、2021年のサービス開始の時点で0.1秒で終わるようになった。ENEOSは「従来なら2カ月かかっていたシミュレーションを0.3秒で行えるようにした」と説明している。早くから使っていた信州大学の古山通久教授は日経クロステックの取材に、「数千コアのCPUを3カ月占有して完了するような計算が、合理的な精度で1秒もかからず終わる」と語った。

仕組みはこうだ。まずPFNのスーパーコンピューターで、第一原理計算の答えを大量に作る。そのデータ作りに費やした計算は、GPU1台なら273年かかる量だったという。その答えをニューラルネットワークに学ばせ、原子の並びを見ただけで、原子にかかる力やエネルギーを瞬時に言い当てられるようにした。これが中核技術の「PFP」である。膨大な計算問題を解き続けて答えを体で覚えた、とびきり勘のいい計算係だと考えると分かりやすい。専門用語では「汎用機械学習ポテンシャル」と呼ぶ。材料の種類ごとにAIを作り直さなくてよい、というのが「汎用」の意味だ。

Matlantisを提供しているのは、PFNとENEOSホールディングス(5020)傘下のENEOSが合弁で立ち上げた会社で、クラウドサービスとして販売している。PFNがAIと計算基盤を、ENEOSが触媒開発などで培った化学の知見を持ち寄った。2024年には三菱商事と資本業務提携を結び、約90の国と地域に広がる同社の網を海外販売に生かす体制を整えた。2025年には社名を製品名と同じMatlantisに改め、米国に専用の拠点も開いている。

扱える元素はサービス開始時の55種類から96種類に増え、利用する企業や研究機関は150を超えた。日経クロステックはトヨタ自動車も顧客だと報じ、住友電気工業は電池材料の探索や光通信の研究に使う事例を公開している。海外では韓国の現代自動車、ドイツのフォルクスワーゲン、米マサチューセッツ工科大学が名を連ねる。用途は触媒、電池、半導体、合金、潤滑油、セラミックスまで幅広い。

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Matlantisの強み:計算する道具から、探す道具へ

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一つ目の強みは、精度を地道に積み上げてきたことだ。第一原理計算にも流儀があり、Matlantisが長く手本にしてきた標準的な計算方法には、融点のような実験値とずれやすい弱点があった。そこで同社は、より実験値に近い答えを出す「r2SCAN(アール・ツー・スキャン)」という方式で作ったデータでもAIを鍛え、2026年7月の最新版v9ではこれを標準の設定にした。同社の論文によると、この方式で学んだモデルは、融点の予測誤差が平均で約130度と、従来の方式で学んだモデルの半分ほどに縮んだ。8月には、機械学習ポテンシャルを実務に近い場面で比べる公開ベンチマーク「MLIP Arena(エムエルアイピー・アリーナ)」で、総合ランキングの同率1位に入ったと発表している。

二つ目は、「計算する道具」から「探す道具」へ踏み出したことだ。2026年1月に加わった「Matlantis CSP」は、元素の組み合わせを指定すると、まだ知られていない安定な結晶構造を自動で探し出す。第一原理計算なら一つの構造の評価に数時間かかるところを数秒から数分で済ませ、何万通りもの試行を回す。ガリウム、金、カルシウムの組み合わせだけで、新しい結晶を13種類見つけたという。発表には本田技術研究所の研究者がコメントを寄せ、実験の前の段階で有望な結晶と組成を高い精度で絞り込めれば、次世代材料が実現する確率が上がり、開発期間も短くなると期待を示した。

三つ目は、使い手の裾野を広げていることだ。原子のシミュレーションには、計算コスト、ソフトの環境づくり、そしてプログラミングという三つの壁があった。Matlantisは2026年5月、AnthropicのClaude Code(クロード・コード)やOpenAIのCodex(コーデックス)といったAIエージェントとの連携を始め、研究者が言葉で指示するだけで、シミュレーションのプログラムを書かせ、実行し、結果を読み解けるようにした。4月にはNVIDIAの材料シミュレーション向けソフト群「ALCHEMI(アルケミ)」も取り込み、大量の計算をさばく力を高めている。

四つ目は、材料開発の現場を知る株主がいることだ。ENEOSは自ら材料開発に取り組むユーザーでもあり、MIの手法を医薬品製造向けの有機触媒の開発に使って、2023年には大手試薬メーカーに3品目の触媒技術をライセンス供与した。住友電気工業の担当者は事例紹介の中で、製造業が本来持っていた「技術で勝つ」という原点をもう一度呼び覚ます必要があると語っている。素材メーカーの研究現場にSaaSとして深く入り込み、継続的な利用料を得る。投資家の目で見れば、これが国産材料AIとしてのMatlantisの土台である。

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Matlantisの課題:公開モデルの攻勢と「先生」の限界

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最大の課題は、手ごわいライバルが公開モデルとして次々に現れていることだ。Microsoftは高速シミュレーターの「MatterSim(マターシム)」を公開し、Metaは約5億件の原子構造で学習した汎用モデル「UMA(ユーマ)」を出した。象徴的なのは、MLIP Arenaで同率1位に並んだ相手が、誰でも入手できる公開モデルの「MACE-MPA(メイス・エムピーエー)」だったことだ。精度だけで大きな差をつけるのは難しくなりつつあり、使いやすさ、サポート、企業の機密データを守る運用といった、製品としての総合力が問われる局面に入っている。

二つ目は、先生を超えられないという、機械学習ポテンシャルの宿命だ。Matlantisの答えの確かさは、手本にした第一原理計算の確かさで頭打ちになる。2025年に公開された評価研究「UniFFBench(ユニ・エフエフ・ベンチ)」は、計算上のベンチマークで好成績を上げた汎用モデルでも、実験データと突き合わせると誤差が大きくなる「現実とのギャップ」があると指摘した。誤差の大きさは手法の違いより、学習データにどんな物質が含まれていたかに左右されるという。r2SCANへの切り替えは、この天井を少しでも押し上げるための手だといえる。

三つ目は、計算は材料そのものを作らないことだ。Matlantisで有望な候補が見つかっても、合成し、量産できる工程に乗せ、製品に組み込むまでには長い道のりがある。投資家や顧客が次に見たいのは、「Matlantisで見つけた材料が製品になった」という、外から見える成功例だろう。

四つ目は、規模の差だ。後で触れる英国のCuspAIが立ち上げた企業連合には、東京エレクトロン、レゾナック、三井化学、富士フイルムなど、Matlantisが主戦場とする日本の素材・半導体の大手が名を連ねた。日本企業にとって、材料AIの選択肢は国内だけではない。三菱商事の網を使った海外開拓と、国内の大手をつなぎとめる実績づくりを、同時に進める必要がある。

MatterGenとは:条件を言えば結晶を描く生成AI

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MatterGenの考え方は、画像生成AIとよく似ている。画像生成AIは、砂嵐のようなノイズから少しずつ絵を浮かび上がらせる。MatterGenは、でたらめに散らばった原子から出発し、元素の種類、原子の位置、結晶の骨組みを少しずつ整えて、安定した結晶の形に仕上げていく。

お手本にしたのは、二つの公開データベースから集めた約60万8,000件の安定な結晶だ。基本のモデルは、条件なしで「ありそうな新しい結晶」を描く。そこに追加の学習を施すと、元素の組み合わせ、結晶の対称性、磁石としての強さ、電気の通しやすさを左右するバンドギャップ、押しつぶしにくさを表す体積弾性率といった条件を指定して描かせられる。

ネイチャーの論文によると、安定で、既存のものと重ならない新しい構造を生み出す割合は、それまでの生成モデルの2倍以上になった。描いた構造は、エネルギーが最も低い安定な形に、従来より10倍以上近かった。既存の候補から選ぶやり方との比較も示されている。体積弾性率が400ギガパスカルを超える材料を探すと、データベースを総当たりで調べる方法は40種類ほどで頭打ちになったが、MatterGenは100種類を超えて候補を出し続けた。

Microsoftはプログラムと学習データ、追加学習の手順まで、商用利用もできるMITライセンスで公開した。同社のクラウド「Microsoft Foundry」のモデル一覧からも使える。描いた候補の良し悪しを素早く確かめる役は、先に触れたMatterSimが担う。MatterSimは周期表の89元素を、極低温から数千度、地球の中心よりも高い圧力までの条件で計算できる。Microsoftは両者を、「描く」と「確かめる」を交互に回して材料探索を加速するフライホイールだと位置づけている。

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MatterGenの強みと課題

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最大の強みは、欲しい性質から出発して設計図を描く「逆設計」を、一つのモデルで幅広く実現したことだ。既存の候補リストの中から探す限り、リストにない材料には出会えない。MatterGenは、リストの外側へ手を伸ばす道具として作られている。

もう一つの強みは、無料で公開したことそのものにある。世界中の研究者が改良や検証に参加でき、使い方の蓄積が進む。学習データまで公開されていたからこそ、外部の研究者がデータの中身にさかのぼって検証できた、という面もある。Microsoftにとって、MatterGenは単体で稼ぐ商品ではない。稼ぎどころは、その先にあるクラウドの計算資源と研究開発の基盤だ。同社は2025年、AIエージェントが研究の流れ全体を回す「Microsoft Discovery」を発表し、データセンター用の新しい冷却液の試作品を、有機フッ素化合物を使わずに約200時間で見つけたと公表した。2026年6月には一般提供を始め、ベルギーの化学大手Syensqo(サイエンスコ)が半導体製造向けの熱媒体の開発に、資源大手BHPが銅の浸出技術の開発に使うと明らかにしている。

課題の一つ目は、冒頭の「新しい結晶」をめぐる問題に表れている。MatterGenが描いたのは、タンタルとクロムが決まった席に行儀よく並んだ結晶だった。ところが実際にできた物質では、両者が同じ席をランダムに分け合うように混ざっていた。白と黒の碁石が交互にきっちり並んだ盤面を設計したのに、できあがったのは碁石をかき混ぜた盤面だった、というイメージだ。ユールスホルト氏は、こうして混ざった物質は1972年に報告された化合物とクロムの割合がわずかに違うだけで、新しい化合物の発見とは呼べないと論じた。そのうえで、複数の元素が同じ席を分け合う物質をAIがうまく扱えず、既知の「混ざった物質」を「整然と並んだ新物質」と取り違えやすいと指摘している。Google DeepMindのGNoMEへの批判でも、現実には整然と並ばない金属イオンの配列が繰り返し問題にされた。材料生成AIに共通する弱点だといえる。

二つ目は、守備範囲の狭さだ。学習データは、結晶の最小単位に原子が20個以下の、比較的単純な無機結晶に限られる。プラスチックのような高分子や、電池の電極と電解質の境目のような複雑な界面は対象外だ。どうすれば合成できるのかも教えてくれない。Microsoft自身も、MatterSimで評価した結果は第一原理計算で確かめるよう利用者に勧めている。

三つ目は、人の流出である。2026年2月、MatterGenとMatterSimの開発を率いたティエン・シエ氏がMicrosoftを離れ、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏が共同CEOを務めるAIスタートアップ、プロメテウスに創業メンバーとして加わったことを明らかにした。シエ氏は、MicrosoftのAI for Science部門での4年間で、MatterGenとMatterSimを材料探索を加速するフライホイールとして作り上げたと振り返っている。プロメテウスは工学や製造へのAI応用を掲げ、2026年6月に120億ドル(約1.9兆円)を調達し、企業価値は410億ドル(約6.4兆円)に達したとTechCrunchが報じた。同じ部門で要職にいたマックス・ウェリング氏も、2024年に英国でCuspAIを共同創業している。巨大IT企業の研究所で育った頭脳が、巨額の資金を集めるスタートアップへ移っていく。MatterGenの次の一手を誰が打つのかは、投資家にとっても見逃せない論点だ。

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描くAI、確かめるAI、そして実験室

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両者の違いは、家づくりにたとえると分かりやすい。MatterGenは、施主の要望を聞いて設計図を描く建築家だ。Matlantisは、その設計図で本当に地震に耐えられるか、柱の一本一本にかかる力を計算する構造設計の専門家に近い。建築家だけでは家は建たず、構造計算だけでは新しいデザインは生まれない。

実際、両陣営は互いの領分へ近づいている。Microsoftは描くMatterGenに確かめるMatterSimを組み合わせ、さらにAIエージェントが研究の流れ全体を回すDiscoveryを用意した。Matlantisは、結晶を自ら探すCSPを加え、AIエージェントとの連携で研究者の言葉からシミュレーションを走らせる仕組みを整えた。競争の軸は、モデル単体の性能比べから、「描く、確かめる、選ぶ」を一続きにした流れの完成度へ移りつつある。

そして最後に勝負を分けるのが、本物の実験だ。AIが描き、シミュレーターで確かめた候補を、ロボットが実際に合成して測り、その結果を再びAIに学ばせる。この輪をいちばん速く回した者が、材料の次を決める。Google DeepMindは英国政府との提携の一環として、AIのGeminiと一体で動く自動実験室を2026年に英国で立ち上げる計画を掲げた。1日に数百種類の材料を合成・評価し、超伝導体や半導体、太陽電池の材料を探すという。

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投資マネーはどこへ:評価額1兆円級の「AI科学者」

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この「輪」を丸ごと手に入れようと、欧米の投資マネーが一気に流れ込んでいる。

英ケンブリッジのCuspAI(カスプAI)は2026年7月、4億5,000万ドル(約700億円)を調達した。主導したのは米有力VCのクライナー・パーキンスとNEAで、ベゾス氏の投資会社ベゾス・エクスペディションズもまとまった額を出し、企業価値は26億ドル(約4,000億円)と報じられた。累計の調達額は6億5,000万ドル(約1,000億円)を超える。同時に立ち上げた「AI Materials Foundry(AIマテリアルズ・ファウンドリー)」は、45を超える企業や研究機関が計算資源、実験設備、専門知識を持ち寄る企業連合だ。NVIDIAが計算基盤を、Metaが先のUMAを提供し、日本からも東京エレクトロン、レゾナック、三井化学、富士フイルム、キオクシアなど9社が創設メンバーに入った。

米国では、ChatGPTの共同開発者として知られる元OpenAIのリアム・フェダス氏と、Google DeepMindでGNoMEを生んだチームを率いたエキン・ドーウシュ・チュブク氏が、2025年にPeriodic Labs(ピリオディック・ラボ)を創業した。アンドリーセン・ホロウィッツ、通称a16zの主導で3億ドル(約465億円)を集めて登場し、ロボットが粉末から材料を合成する自前の実験室を持つ。a16zは出資の理由を「自然そのものが、AIを鍛える強化学習の環境になる」と説明し、「ムーアの法則が減速しているなら、これがそれを再始動させる方法だ」とまで書いた。ブルームバーグは2026年3月、同社が企業価値約70億ドル(約1.1兆円)で資金調達を協議していると報じ、フォーブスは5月、少なくとも5億ドル(約775億円)を企業価値75億ドル(約1.2兆円)で調達する方向で詰めの協議に入っていると伝えた。

バイオ企業を次々に生み出してきた米フラッグシップ・パイオニアリング発のLila Sciences(ライラ・サイエンシズ)も、AIとロボット実験室を組み合わせた「科学の超知能」を掲げ、生命科学から化学、材料までを狙う。2025年にはNVIDIAの出資も受けて企業価値が13億ドル(約2,000億円)を超えた。ブルームバーグは2026年6月、同社が約20億ドル(約3,100億円)の調達を協議中で、調達前の企業価値は約85億ドル(約1.3兆円)になる見込みだと報じた。中核の出資者には、米カリフォルニア州職員退職年金基金とNVIDIAの投資部門が挙がっている。

逆に、ソフトを売らない道を選んだのが、ロンドンとサンフランシスコに拠点を置くOrbital Industries(オービタル・インダストリーズ)だ。旧社名はOrbital Materials。2026年5月にシリーズBで5,000万ドル(約78億円)を調達した同社は、AIで設計した材料を使い、GPUサーバーを冷やす有機フッ素化合物を含まない冷却液や、短期間で設置できるモジュール型のデータセンターを自社製品として売る。Google DeepMind出身のジョナサン・ゴドウィンCEOは、「我々はそのソフトウェアを売らない」と話している。

こうして並べると、どこにでも顔を出す投資家がいる。NVIDIAだ。投資部門のNVenturesはCuspAI、Lila、Orbitalに出資し、Periodic Labsの初期の出資者にもNVIDIAが名を連ねる。MatlantisもNVIDIAのソフト群を取り込み、9月のユーザー会ではNVIDIAのジャスティン・スミス氏が基調講演に立つ。どの陣営が勝っても、材料探索には大量のGPUが要る。ゴールドラッシュでつるはしを売る立場を、NVIDIAは材料の世界でも固めている。

冷ややかな声もある。米投資データ会社PitchBookは2026年3月、AIで新材料を生み出そうとするスタートアップが過去2年で13億ドル(約2,000億円)超を集めたとしたうえで、ベンチャー投資のリターンまでの道のりは曲がりくねっていると論じた。材料AIの草分けである米Citrine Informatics(シトリン・インフォマティクス)の創業者ブライス・メレディグ氏は、「汎用的なAI材料探索という事業が、どうやってベンチャー投資に見合うリターンを生むのか。そこがいまだに腑に落ちない」と語り、「2億5,000万ドル(約390億円)を調達したら、1,000億ドル(約15.5兆円)規模の成功が必要になる」と指摘した。ユタ大学で材料科学を研究するテイラー・スパークス氏は、発見から商業的な成功までの時間は「気が遠くなるほど長い」と述べ、材料分野に投資する米VCマテリアル・インパクトのメリッサ・フェンスターストック氏は、「ラボで部品を作るのは、量産で商業的に通用する材料部品を作るよりずっと簡単だ」とくぎを刺す。

投資家の目で見ると、稼ぎ方は大きく五つに分かれる。MatlantisやMI-6のように、ソフトを研究現場に売る道。Microsoftのように、無料のモデルでクラウドの利用を呼び込む道。Orbitalのように、材料から作った製品そのものを売る道。Periodic LabsやLilaのように、実験室ごと抱えて「AI科学者」を育てる道。そしてCuspAIのように、大企業を束ねる連合の中心に座る道だ。1兆円を超える評価額が報じられているのは、いまのところ実験室を抱える側で、将来の大発見への期待が値段を押し上げている。

日本の資金の流れは、これとは桁が違う。Matlantisの株主はPFN、ENEOS、三菱商事で、国内のMIスタートアップであるMI-6は、2023年のシリーズAまでの累計調達額が約14億円だった。CuspAIが1回で集めた額の50分の1ほどにとどまる。国も動いている。文部科学省は2025年度の補正予算でAI for Science関連に1,143億円を計上し、材料を含む重点分野に1チームあたり20億円程度を原則3年間投じるプロジェクト型の事業を用意した。目指す姿として「オンデマンド材料設計」や、自律ラボで未知の材料を自動で探す研究拠点を掲げている。米国では、トランプ政権が2025年11月に大統領令で始めた国家プロジェクト「ジェネシス・ミッション」に、2026年7月、50億ドル(約7,750億円)を超える連邦政府の資金の手当てが発表され、狙った機能を持つ材料の設計が重点課題の一つに据えられた。

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各紙・各サイトはどう報じてきたか

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日本の技術メディアが一貫して強調してきたのは、「速さ」だ。2021年のサービス開始時、日経クロステックは「専門家も脱帽」という見出しでMatlantisの威力を伝え、PC Watchは「3千CPUで数カ月かかる計算が0.1秒で完了」、MONOistは「1000万倍高速」と打ち出した。2024年には日経クロステックが、国内で90社を超える顧客をつかんだPFNが材料探索AIで海外攻略に乗り出すと報じ、2026年にはIT Leadersが、AIエージェント連携を「計算化学の“最後の壁”を取り除く」と紹介した。

米国の経済メディアの関心は、評価額と出資者に集中している。ブルームバーグやフォーブスはPeriodic LabsやLila Sciencesの資金調達交渉を追い、SiliconANGLEやQuartzはCuspAIの大型調達を、フォーチュンはOrbital Industriesの調達を独自に報じた。

学術の世界は、別の問いを投げかける。MatterGenについて、Microsoft自身は「材料設計の新しいパラダイム」とうたったが、マテリアルズ・ホライズンズの論文は、その代表例が本当に新物質なのかを問うた。Google DeepMindのGNoMEに対しても、英IT媒体The Registerは、専門家がその発見を「浅い」と評価したと報じている。

日本の技術メディアは「どれだけ速いか、何社が使うか」を、米国の経済メディアは「いくらの値がつき、誰が出したか」を、学術誌は「それは本当に新しいのか」を問う。三つの視点のずれこそが、この分野のリスクとチャンスの在りかを示している。

今後の注目点:いつ、何が動くか

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最初の山場は、9月18日だ。Matlantisは年次のユーザー会「Matlantis User Conference 2026」を開き、「AI for Scienceの最前線」をテーマに、同社社長でPFN社長も務める岡野原大輔氏と、NVIDIAのジャスティン・スミス氏が基調講演に立つ。企業や大学の研究者4組が実際の活用を発表し、文部科学省の担当者も登壇する。前年は300人を超える参加者を集め、今年は会場を広げた。AIエージェント連携や結晶構造の探索が研究現場でどう使われ始めたか、海外の顧客がどこまで増えたかが焦点になる。

英国では、Google DeepMindが2026年中の稼働を掲げる自動実験室で、AIとロボットによる材料探索が巨大IT企業の手で本格的に動き出す。資金面では、ブルームバーグやフォーブスが報じたPeriodic LabsとLila Sciencesの大型調達がまとまるかどうかが、この分野の熱気を測る物差しになる。

11月17日から20日には、サンフランシスコでMicrosoftの年次イベント「Ignite」が開かれる。6月に一般提供を始めたDiscoveryで、材料や化学の顧客事例がどこまで積み上がったかが見どころだ。続く11月29日から12月4日には、米ボストンで米材料学会、MRSの秋季大会がある。AIによる材料設計の成果と、その検証をめぐる議論が交わされる場になる。

年末にかけては、日本の来年度予算の編成が進み、AI for Scienceへの国の投資の規模が固まっていく。米国のジェネシス・ミッションも、産業界や海外との連携について追加の発表を予告している。

もう少し長い目で見ると、MatterGenが抱える「混ざり合った結晶」の弱点や、合成のしやすさまで考えた次のモデルがどこから出てくるかが注目点になる。それはMicrosoftからとは限らない。開発を率いた研究者たちは、いまやスタートアップの側にいる。

材料の次を決める材料探索AI(マテリアルズ・インフォマティクス)。PFNとENEOS(5020)のMatlantis、MicrosoftのMatterGen - 今後の注目点:いつ、何が動くか - 図表1

材料の次を決めるのは誰か

材料の次を決める材料探索AI(マテリアルズ・インフォマティクス)。PFNとENEOS(5020)のMatlantis、MicrosoftのMatterGen - 材料の次を決めるのは誰か - 章扉

材料探索AIの競争は、優れたモデルを一つ作れば勝てる段階をすでに過ぎた。描くAIと確かめるAIをつなぎ、実験室で本物の物質を作り、その結果をまたAIに戻す。この輪を誰が持ち、誰が回すのかという勝負に移っている。

その輪を回すのに欠かせないのが、質の高い実験データと、ラボから量産まで材料を仕上げる力だ。文部科学省も、日本の強みとして、世界有数の実験データベースと産業界に眠るノウハウ、そしてラボから量産まで一気通貫で仕上げる開発力を挙げている。それはMatlantisが150を超える顧客とともに積み上げてきた土台であり、同時に、欧米のスタートアップが日本の大手を企業連合に招き入れる理由の一つでもある。

Matlantisが国内の素材メーカーをつなぎとめ、海外で存在感を示せるか。MatterGenを生んだ頭脳が、スタートアップで次の突破口を開くのか。材料の次を決めるのは、AIのモデルそのものではなく、AIと実験室と工場を一本の線でつないだ者になる。