2026年8月5日、DeepMindの「静かな政変」

Googleは2026年8月5日、公式ブログ「The next chapter of our AI momentum」でAI部門の体制刷新を発表した。署名はSundar Pichai氏と、この日から肩書きが変わったDemis Hassabis氏の連名である。文面は簡潔で、「Demisはグーグル・ディープマインド(GDM)の会長兼Alphabetのチーフサイエンティストとなり、引き続きIsomorphic Labsを率いる」と記された。
ハサビス氏自身は社内メモでこう書いている。「私はGDMにおける日々の運営責任を引き継いでもらうべき時が来たと判断した。大きな絵に集中するための時間と空間を得るためだ」。そして「我々は人類史の転換点に到達した。私は生涯をかけてAGIに取り組んできたが、いま、皆さんの多くと同じように、それが手の届くところにあると感じている」と続けた。ピチャイ氏は別の箇所で「彼と私は、AGIの未来を能動的に形づくることに彼の全注意を向けられる役割について長く話し合ってきた」と述べている。
実務を引き継ぐのはKoray Kavukcuoglu氏である。同氏はGoogle DeepMindのCTOであり、2025年6月11日からはGoogle初のチーフAIアーキテクトも兼務していた。今回シニア・バイス・プレジデント(SVP)となり、ピチャイ氏に直接報告する。所管はGeminiのモデル開発、フロンティアAI研究、そしてGeminiアプリと開発者向けチームである。ここで重要なのは、後任の肩書きが「CEO」ではない点だ。DeepMindはGoogleに買収されて以降も独立した子会社としてCEOを置く体裁を保ってきたが、その体裁自体が今回消えた。Financial Timesの系列をはじめ複数の媒体が「DeepMindの自律性の終わり」と読んだのはこのためである。
同じ日、もう一つの爆弾が落ちた。27年間Googleに在籍し、Google Brainを立ち上げ、直近はAlphabetのチーフサイエンティスト兼Gemini共同リードを務めたJeff Dean氏の退社である。ピチャイ氏はメモで「27年という素晴らしい在籍期間を経て、Jeffは何か新しいことに挑戦したい時期に来ている」と書いた。ディーン氏はGoogleシニアフェローのSanjay Ghemawat氏、Google DeepMindのVPでGemini共同リードのOriol Vinyals氏、Google Brain創設メンバーのQuoc Le氏とともに、公益法人(public benefit corporation)Discovery Loopを創業する。Googleはこの新会社に対し「創業投資家(founding investor)兼クラウドパートナー」として関与し、機械学習システムに関する研究フレームワークで協業を続けると明記された。
市場の反応は速かった。Alphabet株は8月5日に一時5%安、終値ベースで約4%安となり、翌6日にもさらに下げた。消えた時価総額について、報道は約1,750億ドル(約27.8兆円)から約1,900億ドル(約30.1兆円)まで幅がある。Bloomberg Intelligenceのアナリストは、今回の変更がGoogleのAIポジションに対する「精査を強める」可能性があると書いた。
社内の構造変化はもう一段深いところで起きている。TIMEの報道によれば、Chief AI Readiness Officerのリラ・イブラヒム氏はハサビス氏ではなくJames Manyika氏の下に移り、彼女の配下にあった一部の安全性・倫理チームは、Googleのグローバル渉外担当プレジデントであるKent Walker氏に報告する案が浮上している。ある従業員は、安全性チームがDeepMindからGoogle本体に移ることで影響力を失うのではないかと懸念を口にした。Googleの広報担当者は「フロンティアAIの安全性に関して、この移行は何も変えない」と否定している。
地理的な意味も無視できない。ハサビス氏はロンドンに残り、DeepMindが今夏から入居を始めた新本社「Platform 37」(キングス・クロス隣接、投資額10億ポンド/約2,124億円、Thomas Heatherwick氏とBjarke Ingels氏の設計、名称はAlphaGoの伝説的な一手「Move 37」に由来)を拠点とする。一方、カブクチュオール氏はマウンテンビューに移り、そこからGeminiを指揮する。AI戦略の重心はロンドンからカリフォルニアへ移った。

「昇進」か「体のいい降格」か——各紙の読み方は割れている

この人事の解釈は、媒体によって大きく割れた。
Semaforは8月5日、ハサビス氏の思考に詳しい2人の関係者の話として、この移行が「少なくとも1年越し」のものだったと報じた。同氏は日々の運営責任を徐々にカブクチュオール氏へ移しており、テック企業の経営者としての職務よりも科学者としての仕事に満足を見出していた。同記事は「彼は意に反して追い出されたわけではない」と明記し、ハサビス氏が最も生き生きと語るのはIsomorphic Labsについてだったとする。
一方、Bloomberg Opinionのパーミー・オルソン氏は8月6日のコラムで、より厳しい読みを提示した。DeepMindに近い人々は上層部での不和を疑っており、ハサビス氏がカブクチュオール氏に出し抜かれたとの見方があること、人材流出が続くなかでハサビス氏がGoogleの慢性的な組織的惰性を修正できていなかったこと、そして2025年に900億ドル(約14.3兆円)超を費やしたAI戦略の指揮権がカリフォルニアに戻ることを指摘した。同氏の結論は、Googleに必要なのは科学的ブレークスルーを実際の製品に変えられることを証明する「組織の革命」だ、というものだった。
The Next Webは2つの物語を並べた。公式の説明は「1年かけて日常業務から離れていった」であり、もう一つの読みは「2024年の画像生成をめぐる問題の後、ハサビス氏はロンドン側の権限を集約したが、最終的にカリフォルニアに位置取ったカブクチュオール氏に出し抜かれた」というものである。同記事は後者が「情報に基づく推測」であり、Googleが言及していないことも併記した。
元GV(Google Ventures)のM.G.シーゲル氏はSpyglassで、ハサビス氏の移動そのものは「見た目ほど劇的ではない」と書いた。すでに実務はカブクチュオール氏に渡っていたからである。むしろ衝撃はディーン氏とゲマワット氏という2人のGoogleシニアフェローの同時退社で、シーゲル氏はスティーブン・レビー氏の比喩を引き、「ミック・ジャガーとキース・リチャーズがローリング・ストーンズを抜けるようなもの」と表現した。その上で同氏は、集権化がGeminiの製品化にはむしろプラスに働き得るとして、「この揺さぶりは良いことになり得る」と結んでいる。
日本では日本経済新聞が「GoogleがAI開発体制を刷新、部門トップのデミス・ハサビス氏交代」と報じ、ITmedia NEWS、マイナビニュース、GIGAZINEなどが「CEO退任、会長へ」という事実関係を中心に伝えた。SBI Bit(ビジネス+IT)は株価4%下落を見出しに含めている。

DeepMindからの人材流出——6月の「6日で4人」、8月の「1日で4人」

今回の人事は、単発の出来事ではなく数か月続く流出の延長線上にある。
流れが可視化されたのは2026年6月だった。6月18日、Transformer論文「Attention is All You Need」の共著者でGemini共同リードのNoam Shazeer氏がOpenAI行きを発表した。同氏はOpenAIのチーフリサーチオフィサーであるMark Chen氏の下でAIアーキテクチャ研究のリードを務める。Googleが2024年にCharacter.AIから同氏とチームの一部を呼び戻すために支払ったとされる金額は27億ドル(約4,282億円)で、その2年足らず後の離脱だった。
その翌日の6月19日、AlphaFoldでハサビス氏とノーベル化学賞を分け合ったJohn Jumper氏が、約9年在籍したGoogle DeepMindを離れAnthropicへ移ると自ら発表した。さらに6月24日にはBloombergが、Gemini開発とAlphaFold研究の双方に貢献したJonas Adler氏(コーディング関連)とAlexander Pritzel氏(事前学習)の2名もAnthropicへ移ると報じた。6日間で4人という密度である。
市場はこれを額面通りに受け取った。6月22日、Alphabet株は約6.5%下落し、時価総額にして約2,690億ドル(約42.7兆円)が消えた(媒体により2,250億〜2,500億ドルとする推計もある)。アナリストからは「GoogleはフロンティアAIの人材戦争に負けつつある」との声が出た。Citizensは、シャジール氏の離脱がとりわけ、人材目当てでスタートアップを取り込むというAlphabetの戦略のリスクを浮き彫りにしたと指摘している。
しかし流出はもっと前から始まっていた。AlphaGo、AlphaZero、MuZeroを生んだ強化学習チームのリードであり、DeepMind初期メンバーのDavid Silver氏は、サバティカルを経て2026年1月に退社し、自らのラボIneffable Intelligenceを立ち上げた。DeepMindのOpen-Endedness研究グループを率いたTim Rocktäschel氏も、Richard Socher氏らとRecursive Superintelligenceの共同創業に加わった。
そして8月5日、CEO、チーフサイエンティスト、Google Brain共同創設者、Gemini共同リードが1日の発表でまとめて動いた。
流出の背景として繰り返し挙げられるのは4点である。第一に、Anthropicの上場前エクイティの魅力。同社は2026年4〜5月にシリーズHで650億ドル(約10.3兆円)を調達し、ポストマネー評価額9,650億ドル(約153兆円)に達したうえで、6月1日にSECへ極秘S-1を提出している。第二に、社内の計算資源配分をめぐる摩擦。第三に、Geminiの遅延に伴う士気の低下。第四に、防衛契約への反発である。
最後の点は具体的だ。Googleは2026年4月28日、自社AIモデルの「あらゆる合法的な政府目的」での軍事利用を認める契約を国防総省と結んだ。OpenAIとxAIは同種の条件を受け入れていたが、Anthropicは2月にこれを拒んでいる。契約に先立つ2月には100名超の従業員がディーン氏に対し国内大量監視や自律兵器を伴う軍事契約の拒否を求め、4月下旬には600名超のGoogle従業員がピチャイ氏宛の書簡に署名した。従業員は発表を社内連絡ではなく報道で知ったという。DeepMindのシニアリサーチサイエンティストであるAndreas Kirsch氏は契約文言を「無意味な逃げ口上」と呼び、「いまGoogle DeepMindのシニアリサーチサイエンティストであることを、個人的に信じられないほど恥ずかしく感じている」と述べた。別の研究者Alex Turner氏は「OpenAIがイチジクの葉を差し出したとすれば、Googleは『イチジクの葉を差し出したと想像してくれ』と言った」と皮肉った。
Axiosは7月23日、Geminiの遅延の背景に従業員の不満があると、現・元従業員6人への取材をもとに報じている。Geminiの最上位モデルであるGemini 3.5 Proは、Google I/Oでプレビューされた後の6月一般提供という当初目標を外し、Bloombergによればコーディング性能が社内期待に届かず——とりわけOpenAIやAnthropicの同等モデルと比べて——数か月遅れている。Googleは再帰的なツール呼び出しやSVG生成に構造的な失敗を見つけ、当初のモデルを作り直したと報じられた。7月22日のQ2決算でピチャイ氏は、Gemini 4が「当社史上最も野心的な事前学習の実行」として訓練中であり、今後モデル更新をおよそ月次で出していくと述べている。



競合OpenAIでも止まらない流出——2年で21人という数字

人材の逆流はGoogleだけの現象ではない。むしろOpenAIのほうが、経営陣の入れ替わりという意味では激しい。
出発点は2024年である。共同創業者でチーフサイエンティストのIlya Sutskever氏、スーパーアラインメント共同リードのJan Leike氏、共同創業者のJohn Schulman氏、CTOのMira Murati氏、チーフリサーチオフィサーのBob McGrew氏らが相次いで去った。2025年にはMeta Superintelligence Labsによる大規模な引き抜きが加わった。
2026年に入っても止まっていない。4月初旬、プロダクト・事業責任者で「ナンバー2」と目されたFidji Simo氏が、POTS(体位性起立頻脈症候群)という神経免疫疾患の悪化を理由に長期の医療休職に入ると発表した。3か月の休職を経て7月9日、同氏はフルタイムの職を退き、パートタイムのアドバイザーへ移行することを明らかにした。その責務は他の3名の幹部に分割され、ChatGPT製品事業は共同創業者兼プレジデントのGreg Brockman氏が引き継いだ。
4月17日には3人の幹部が同じ日に退社を表明した。最高プロダクト責任者を経て「OpenAI for Science」を率いていたKevin Weil氏、Sora(動画生成)を統括していたBill Peebles氏、そしてB2Bアプリケーション担当CTOのSrinivas Narayanan氏である。背景には、OpenAIが「サイドクエスト」を切り捨てる方針転換があった。1日あたり推定100万ドル(約1.6億円)の計算コストを垂れ流していたSoraは前月に停止され、科学向け研究グループとそのプラットフォームPrismは他の研究チームへ吸収された。ピーブルズ氏はXへの投稿で、Soraが業界全体の動画分野への巨額投資に火をつけたと振り返りつつ、この種の研究は本流ロードマップから離れた空間を必要とすると述べ、「エントロピーを育てることだけが、研究ラボが長期的に繁栄する道だ」と書いた。ナラヤナン氏は家族との時間を理由に挙げた。
7月には安全性部門のトップが去った。セーフティシステムズ責任者のJohannes Heidecke氏は7月10日、社内に退社を伝えた。安全性チームと研究チームを単一のリーダー下に統合する組織再編の直後のことで、チーフリサーチオフィサーのMark Chen氏はメモで、今後の安全性チームは新設のVP of Research and Safetyに就いたMia Glaese氏に報告すると伝えた。セーフティシステムズの暫定責任者にはSaachi Jain氏が就いた。ハイデッケ氏がこのポストに就いてから、まだ2年しか経っていなかった。
離職理由も一様ではない。国防総省とのAI契約に倫理的な懸念を抱いた者もいれば、野心的な研究への賭けから「MicrosoftやエンタープライズのためにChatGPTをより速く、より確実にする」という運用中心の文化への変質を語る者もいた。2024年初頭以降にOpenAIを去った幹部・研究者は21名に上るとされ、11人の創業メンバーのうち同社に残るのは2人だけである。
こうした人の動きを最も冷静に定量化しているのは、皮肉にもVCだった。SignalFireの「State of Talent Report」によれば、直近2年に採用した従業員の2年定着率はAnthropicが80%で全フロンティアラボ中トップ、Google DeepMindが78%、OpenAIが67%、Metaが64%と続く。移動の方向も一方向的で、OpenAIのエンジニアがAnthropicへ移る確率は逆方向の8倍、DeepMindからAnthropicへは11倍とされる。Anthropicは失う数の2.68倍のペースでエンジニアを採用している。同社が2026年5月19日にOpenAI共同創業者のAndrej Karpathy氏を事前学習チームに迎え入れたことは、この非対称性の象徴として受け止められた。カーパシー氏は自身のEureka Labsでの22か月に区切りをつけ、Nick Joseph氏の下でClaudeを使って事前学習研究そのものを加速させるチームを立ち上げている。



生い立ち——北ロンドンの「ボヘミアン」一家と、4歳のチェス盤

ここからは、この人事の主役の来歴を追う。
Demis Hassabis氏は1976年7月27日、ロンドンに生まれた。父はギリシャ系キプロス人のCostas Hassapis氏、母は中国系シンガポール人のAngela Hassabis氏。3人きょうだいの長男である。育ったのは北ロンドンだった。
本人は両親を「少しボヘミアン」と表現している。父はおもちゃ屋を営み、ボブ・ディランに触発されて作詞作曲に打ち込み、最終的には教職に就いた。家計は決して裕福ではなく、父が家を買っては売るのを繰り返したため、一家はハサビス氏が12歳になるまでにおよそ10回引っ越している。この不安定さが、逆説的に彼の形成に効いたと本人は語る。
チェスとの出会いは4歳だった。父と叔父が指しているのを見て「やりたい」と言い出したという。「彼らは『まあ、付き合ってやるか』という感じで、ルールだけ教えてくれたんです」。以後の上達は異常な速度だった。4歳の時点で大人を負かし始め、13歳でマスター基準に到達、Elo 2300を記録した。同年代(U-14)では世界第2位にランクされ、イングランド代表の同年代チームを率いながら、自分より年上の選手と対戦していた。
転機は13歳、リヒテンシュタインでの大会だった。デンマークの成人チャンピオンとの10時間に及ぶ死闘に敗れた後、彼は自問する。「あれは、あれだけの脳の演算能力の使い道として本当に良かったのか?」。この問いをきっかけに、彼はチェスへの一極集中をやめる。極端な専心は自分の能力を広げるのではなく狭めると考えたからだ。
もう一つ、決定的な出来事がある。チェスの大会で得た賞金で、彼は子どもがクリスマスに親にねだるようなものを自力で買った。ゴム鍵盤のZX Spectrumである。彼はそれで独学でプログラミングを覚えた。チェス盤の上の探索が、シリコンの上の探索に接続した瞬間だった。

学歴——16歳でA-level、17歳のギャップイヤー、ケンブリッジのダブル・ファースト、そしてUCLの博士号

学校教育においても、彼は常に前倒しだった。バーネットのQueen Elizabeth's School(1988〜1990年)を経てフィンチリーのChrist's Collegeに進み、A-level(大学入学資格試験)を16歳で終えている。
ここで、彼の伝説のなかで最も誤って語られているエピソードが登場する。1992年、15歳の彼はゲーム誌『Amiga Power』が実施したコンテストに応募した。『スペースインベーダー』の翻案を設計し、当時英国ゲーム業界で最も勢いのあったBullfrog Productionsでの職を勝ち取るという企画である。彼の応募作は「Chess Invaders」——チェスとインベーダーを掛け合わせた作品だった。よく「優勝した」と語られるが、実際は3位である。同誌1992年8月号によれば、Bullfrog共同創業者Peter Molyneux氏による採点は「独創性8点、実装5点、サウンド6点」だった。それでも雇用を得るには十分だった。
ケンブリッジ大学は、合格した彼に対し「若すぎる」としてギャップイヤーを取るよう求めた。そこで16歳の彼はBullfrogで働き始める。大学が1年待てと言ったことが、結果として英国ゲーム史とAI史の交点を作ったことになる。
1994年にケンブリッジ大学Queens' Collegeに入学し、コンピュータサイエンス・トライポスを修めて1997年にダブル・ファースト(第一級優等の最上位)で卒業した。在学中の1995年、1996年、1997年にはケンブリッジのチェスチームを率い、オックスフォードとの対抗戦に出場している。
ゲーム業界での起業を経た後、彼は学問に戻る。2005年にElixir Studiosを清算して知的財産を売却し、University College London(UCL)のQueen Square神経学研究所で認知神経科学の博士課程に進んだ。指導教官は、ロンドンのタクシー運転手の海馬研究で知られる認知神経科学者Eleanor Maguire教授である。学位取得は2009年、学位論文のタイトルは「Neural Processes Underpinning Episodic Memory」(エピソード記憶を支える神経過程)だった。
この時期の彼の研究は、後のDeepMindの思想的土台になる。2007年に発表した論文は、海馬に損傷を負い健忘症を呈する患者が、過去を想起できないだけでなく「新しい経験を想像することもできない」ことを示した。記憶と想像が同じ神経基盤を共有するというこの発見は、『Science』誌のその年の「トップ10ブレークスルー」に選ばれている。記憶が過去の再生装置ではなく、未来を構成するための生成モデルだという知見は、そのまま「世界モデルを学習するエージェント」というDeepMindの設計思想に繋がっていく。
博士号取得後は、Gatsby Computational Neuroscience UnitでHenry Wellcomeポスドクフェローとして、強化学習の理論神経科学で知られるPeter Dayan教授と研究した。並行して、MITのTomaso Poggio教授の研究室とハーバード大学に客員研究員として滞在している。
学生時代の彼を語る上で外せないのが、チェス以外のゲームでの戦績である。彼はMind Sports Olympiadの「Pentamind」世界選手権を1998年、1999年、2000年、2001年、2003年の5回制覇した。これは複数種目の総合成績で競う種目で、単一のゲームの専門家ではなく「複数の異なるルール系に高速に適応する能力」を測るものだ。さらに10種目総合の「Decamentathlon」で2003年と2004年に優勝し、2004年にはディプロマシーの世界チーム選手権も制している。World Series of Pokerにも6シーズン参加し入賞歴がある。13歳で「チェスだけに脳を使うのはもったいない」と考えた少年は、汎用性そのものを競技にしていた。

職務経歴と人物像——Bullfrog、Lionhead、Elixirの15年

ハサビス氏のキャリアは、AI研究者としてではなくゲーム開発者として始まっている。そしてこの15年間は、彼のAI観を理解する上で本質的に重要である。
Bullfrogでは『シンジケート』(1993年)の開発に関わった後、17歳で『テーマパーク』(1994年)の共同設計とリードプログラミングを担当した。遊園地経営シミュレーションであるこの作品は、来園者の行動、資金、天候、施設の状態といった多数の変数が相互に干渉し合うシステムであり、彼のプログラミングはその重なり合う変数と、緊急時のデジタルキャラクターの振る舞いを支配するAIを扱った。数百万本を売り上げ、Golden Joystick Awardを受賞し、経営シミュレーションというジャンルそのものを作った。
モリニュー氏の回想は、この時期の彼を最もよく伝えている。「痩せた小さな子が入ってきた。街で通りすがってもたぶん気づかないような子だ。でも目に輝きがあった。知性の輝きだ」。Bullfrogのクリスマスパーティーへ向かうバスの中で交わした会話を、モリニュー氏は「最も知的刺激に満ちた会話」と呼び、話題は「ゲームの哲学、勝つことがなぜ人間の心理にこれほど訴えるのか、そして同じ性質を機械に宿らせられるか」に及んだという。「その間ずっと、私はこう思っていた——こいつはまだ子どもなんだぞ、と」。
ハサビス氏の側の回想も残っている。「キャリアの初期、90年代のゲームが一番楽しかった。特にBullfrogでは、最も黄金の時期にそこにいられて幸運だった」。モリニュー氏との関係については「お互いに大きく影響し合ったと思う。何年も非常に緊密に働いた。どちらがどちらに影響したかは言い難いが、私の人生の非常に重要な部分だった」と語り、二人が「この種の仕事を本当に延長したら未来はどう見えるか、どうすれば真のAIを作れるか」を議論していたことを明かしている。
ケンブリッジ卒業後はモリニュー氏が新設したLionhead Studiosに合流し、『Black & White』のリードAIプログラマーを務めた。プレイヤーが育てる巨大な「クリーチャー」が模倣と報酬から学習していくこのゲームは、当時のコンシューマーソフトとしては異例に野心的な学習エージェントの実装だった。
1998年、彼はロンドンでElixir Studiosを創業する。エグゼクティブデザイナーとして『Republic: The Revolution』(2003年)と『Evil Genius』(2004年)を世に出し、Vivendi UniversalおよびMicrosoftとパブリッシング契約を結んだ。前者は架空の東欧国家の政治体制を丸ごとシミュレートしようとする作品で、後者は悪の秘密結社を経営するというひねりの効いた作品として今も熱心なファンを持つ。だが2005年4月、Elixirは事業を畳む。ハサビス氏は当時こう声明を出した。「今日のゲーム業界には、革新的で独創的なアイデアに取り組もうとする小規模な独立系デベロッパーの居場所が、もはやないようだ」。IPは売却され、彼は神経科学へ転じた。
本人はこの15年を後付けで意味づけていない。「Bullfrog、Lionhead、Elixirでゲームを作っていたとき、私の狙いは常に最終的にAIに集中することだった。ゲームは私にとってそこへ至る道だった」と述べている。ゲームは目的が明確で、ルールが定義されており、人間の性能という比較基準がある——「AIシステムにとって完璧な実験場」だという彼の主張は、後のAtari DQN、AlphaGo、AlphaStarに一直線に繋がる。
同僚の評価は一貫している。共同創業者のShane Legg氏は「彼には50%モードがない。99%モードすらない。100%だけだ」と語った。ゲーム業界の重鎮でありハサビス氏の友人でもあるIan Livingstone氏は、彼を「聡明なだけでなくチャーミング」と評した——テック業界の人物についてはあまり聞かない形容である。ピチャイ氏は「Alphabetにとっても人類にとっても極めて重要な仕事であり、それを担う人物としてDemis以上の適任は想像できない」と述べている。
働き方も特徴的だ。彼の睡眠は5〜6時間で、就寝は午前3時から4時。日中はマネジメント、午後10時以降を創造的な仕事に充てる「第2シフト」に使う。「時間はとても短く、人生はとても短いから、効率については相当に強迫的だ」と本人は語る。集中作業のBGMは歌詞のないリキッド・ドラムンベース、思考にはクラシックを使う。AIと意識についての彼の見方には『ブレードランナー』の影響があるという。

創業物語——ビショップとナイトで、ピーター・ティールの1分を奪う

DeepMind Technologiesの設立は2010年9月23日である。設立当初の商号は「Friars 2022 Limited」で、同年11月15日にDeepMindへ改称された。共同創業者はハサビス氏、Shane Legg氏、Mustafa Suleyman氏の3人。レッグ氏とはGatsby Unitで出会い、スレイマン氏はハサビス氏の弟の幼馴染という縁だった。ミッションは初日から明快で、「知能の問題を解き、そしてその知能で他のすべてを解く」である。
だが2010年当時、「汎用人工知能を作る」と言うロンドンの3人組に資金を出す投資家は多くなかった。転機になったのが、シリコンバレーで最も有名な1分間である。
2010年8月、ハサビス氏はPeter Thiel氏が毎年主催するSingularity Summitの後、カリフォルニアのティール氏の邸宅で開かれたパーティーに参加した。彼が確保できたティール氏との時間は文字通り1分だった。彼はその1分の使い方を数か月考えた。数百人が何かを売り込もうとしている場で、事業計画を語っても埋もれるだけだと判断したからだ。
そこで彼はティール氏の経歴を調べ、同氏がジュニア時代にチェスをしていたことを見つけた。それが糸口だった。売り込む代わりに、彼は問いを投げた。「チェスの秘密は、ビショップとナイトがどちらも3点なのに、まったく異なる力を持っていることにあると思う」。
これが効いた。ティール氏は興味を持ち、次の面会が設定され、最終的に200万ドル(約3.2億円)超を投じた。2014年1月にDeepMindがGoogleに買収された時点で、ティール氏のFounders Fundは3人の共同創業者全員より多くの株式を保有していたと報じられている。
その後、Horizons Ventures(李嘉誠氏)、Elon Musk氏、Jaan Tallinn氏、Scott Banister氏、当時10代の富豪だったNick D'Aloisio氏らが加わり、DeepMindは売上ゼロのまま5,000万ドル(約79億円)超を調達した。
技術的な転機は2013年である。DeepMindはDeep Q-Network(DQN)を発表し、ピクセル入力とスコアだけからAtariのゲーム群を人間超えの水準でプレイするエージェントを示した。1つのアルゴリズムが複数のゲームを学習するというこの結果が、シリコンバレーの巨大企業を動かした。
そして2013年から2014年にかけて、GoogleとFacebookの争奪戦が起きる。金額を提示したのはFacebookのほうが上だった。ハサビス氏は、どちらが本当にAIの意味を理解しているかを確かめるためにテストを仕掛ける。パロアルトのMark Zuckerberg氏の自宅を訪ね、会話をAIの可能性からVR、AR、3Dプリンティングへとずらしてみたのだ。ザッカーバーグ氏はそのすべてに等しく熱を上げた。「Facebookはより多くの金を提示した。だが私は、なぜAIがこれら他のすべてより大きくなるのかを本当に理解している相手が欲しかった」——ハサビス氏はそう語ったとされる。彼は低いほうのオファーを選んだ。
ザッカーバーグ氏は後年、この件をこう振り返っている。「DeepMindは買いたかったが、Googleに行ってしまった。ところでDemisは上手かった。彼は私をGoogleと競わせて良い価格を引き出した。それは尊敬する」。
買収は2014年1月26日に完了した。価格は公式には開示されていない。報道は4億ドル(約634億円)から6.5億ドル(約1,031億円)まで幅があり、英国法人の会計上は4億ポンド(約850億円)とされる。
もう一つ、この買収には条件が付いていた。ハサビス氏とスレイマン氏は、Googleが全社的にAIの取り組みを監督する社内倫理委員会を設置することを買収の条件として求めた。買収に先立つ1年の間に、ロンドンの弁護士が「Ethics and Safety Review Agreement」と呼ばれる合意文書を作成している。委員会には3人の共同創業者全員が入るが、GoogleもDeepMindも他のメンバーを明かしていない。2011年にレッグ氏が「最終的には人類の絶滅がおそらく起こると思う。技術がそこで役割を果たすだろう」と述べ、AIを「今世紀の第1のリスク」と名指ししていたことを考えれば、この条件は創業者の思想の直接の反映だった。
その後の道筋は広く知られている。2015年10月、AlphaGoが欧州王者Fan Hui氏を5対0で下し、2016年3月にはソウルでLee Sedol氏を4対1で破った。2局目の「Move 37」——人間の棋士の常識から外れた5線の肩付き——は、機械が人間の棋譜を模倣するだけでなく新しい知識を生み出し得ることの象徴になり、後にGoogleの新ロンドン本社の名前になった。2017年にはKe Jie氏を3対0で下している。
2018年12月、AlphaFoldがタンパク質構造予測のコンペティションCASP13で優勝。2020年11月のCASP14でAlphaFold2が「50年来の問題」を実質的に解いたと評価され、2021年7月にソースコードが公開された。AlphaFold Protein Structure Databaseは最終的に2億件超の予測構造を無償公開するに至る。2024年にはDNA・RNAとの相互作用まで扱うAlphaFold 3が発表された。
2024年10月9日、ノーベル化学賞が発表された。賞の半分は「計算論的タンパク質設計」でDavid Baker氏に、残る半分は「タンパク質構造予測」でハサビス氏とJumper氏に共同で授与された。同じ2024年、彼はナイト・バチェラーに叙されている(3月28日付、4月19日ロンドン・ガゼット掲載、「人工知能への貢献」に対して)。2018年新年叙勲でCBE、2017年に王立工学アカデミー(FREng)フェロー、2018年5月に王立協会(FRS)フェローに選出されている。2023年にはBreakthrough Prize in Life Sciences、Canada Gairdner International Award、Albert Lasker Basic Medical Research Awardを相次いで受けた。
2021年11月にはAlphabet傘下のAI創薬企業Isomorphic Labsを設立し、自らCEOを兼務した。2023年4月にはDeepMindとGoogle Brainが統合され、Google DeepMindが誕生する。今回退いたのは、その統合体のCEO職である。


シリコンバレーVCの受け止め——これは「流出」ではなく「フレンドリー・スピンアウト」である

ここからが本稿の中心である。シリコンバレーのVCは、8月5日の出来事を人材流出の悲劇としては見ていない。彼らが見ているのは、資本と人材の関係が構造的に変わったという事実である。
最も雄弁なのは、Discovery Loopのディールそのものの形だ。この会社は公益法人として設立され、初期ラウンドはRadical VenturesとKhosla Venturesが共同リード、Kleiner Perkins、Lightspeed、Doerr Capital、そしてAlphabetが参加する。ラウンド金額と評価額は創業陣が開示を拒んでいる。注目すべきは、Googleが「創業投資家兼クラウドパートナー」として自ら明記した点である。自社の頭脳4人が辞めていくのを止めるのではなく、その受け皿に出資し、計算資源の供給者になり、研究成果へのアクセスを確保する。
VCがこれを内々に「フレンドリー・スピンアウト」と呼ぶ理由はここにある。Googleは持分を保有し、クラウド契約を保持し、何が作られるかへの視界を維持したまま、消費者向けプロダクトの出荷に最適化された組織の中に一流研究者を抱え続ける固定費と組織的摩擦を手放す。研究者にとっては、大企業の官僚制から解放されつつ計算資源を確保できる。双方にとって合理的な取引である。
Vinod Khosla氏の関与の仕方も象徴的だった。同氏は注目を避けるため、サンドヒル・ロードのオフィスで土曜日に4人と会っている。同氏はこの投資のテーゼをこう言い切った。「人間はAIを使って研究をしてきた。AIを研究者にするために使ってきたのではない」。Radical Venturesは投資メモで、Discovery Loopが「科学的手法の自動化」——逐次的な人間の実験を並列のAI駆動研究サイクルに変える——を体現しているとし、4人の経歴を「シリコンから基盤モデルまでを貫く稀有なフルスタックの深さ」と評した。同社はまず機械学習研究の最適化から始め、その後に物理、医療、材料科学、再生可能エネルギーへ広げる計画とされる。
より広い構造を数字で見ると、事態の規模が分かる。VC向けのデータ企業Evertraceが、英Companies House、特許、研究助成金のデータから抽出したところによれば、直近18か月でDeepMindの元従業員112名がスタートアップを創業したか、創業を計画している。うち38社が活動中で、74社はステルス状態にある。所在地は米国70社、英国28社、スペイン3社、スイス・ドイツ・カナダ各2社、オーストリア・ポーランド・香港・インド・韓国各1社。Evertrace共同創業者のJacob Houlberg氏はこう表現した。「DeepMindはAIにとって、KlarnaやSpotifyが欧州テックに対して果たしたのと同じ役割を果たしている。ファウンダー・ファクトリーとして複利で効いてきている」。
個別のラウンドを見ると、価格付けの水準が異常であることが分かる。David Silver氏のIneffable Intelligenceは2026年4月27日、11億ドル(約1,745億円)のシード資金をポストマネー評価額51億ドル(約8,090億円)で調達した。欧州史上最大のシードであり、法人設立からわずか数か月後の出来事である。共同リードはSequoia CapitalとLightspeed Venture Partners、参加者にはNvidia、DST Global、Index Ventures、Google、そして英国のSovereign AI Fund、British Business Bankが名を連ねた。同社が掲げるのは「自らの経験からすべての知識を発見するスーパーラーナー」——人間が生成したデータに頼らず試行錯誤から学ぶという、AlphaZeroの思想を言語モデル以後の世界へ拡張する構想である。シルバー氏は本人の言葉で、これを「生涯の仕事」と呼び、Wiredに対して「Ineffableから得る金は、可能な限り多くの命を救うインパクトの高い慈善に回す」と述べている。
Tim Rocktäschel氏が加わったRecursive Superintelligenceは、2026年5月にステルスを脱し、6.5億ドル(約1,031億円)を評価額約46.5億ドル(約7,377億円)で調達した。リードはGVとGreycroft、Nvidia、AMD Venturesも参加している。同社は評価、データ選択、訓練、事後訓練、研究方向の決定まで、フロンティアAI開発のパイプライン全体を自動化することを目標に掲げる。Misha Laskin氏(Gemini報酬モデリング)とIoannis Antonoglou氏(AlphaGo共同開発)のReflection AIは2025年10月に20億ドル(約3,172億円)を評価額80億ドル(約1兆2,690億円)で調達済みだ。AlphaFold2のシニア研究者でタンパク質設計チームの共同リードだったSimon Kohl氏のLatent Labsは、Radical VenturesとSofinnova Partnersが共同リードするラウンドを含め5,000万ドル(約79億円)を集めている。
欧州のAI投資家であるAir Street CapitalのNathan Benaich氏は、この流れの根にある思想的な差異を指摘してきた。「DeepMindがOpenAIを追ってGPT型のシステムをやることにさほど注意を注がなかったのは、根本的にはDemisと経営陣が科学組織を作っているからだ」。同氏の見立てでは、元Google DeepMindの創業者たちはそのラボでの経験をライフサイエンス分野の起業に持ち込んでいる。同氏が2026年3月にクローズした2億3,200万ドル(約368億円)のFund IIIは、欧州最大のソロGPファンドとなった。
そしてVCがこの「創業投資家」という形式に注目するのには、もう一つ規制上の理由がある。2024年3月から2026年1月にかけて、Google、Microsoft、Amazon、Metaは200億ドル(約3.2兆円)超を投じてAIスタートアップの創業チームを引き抜いたが、企業そのものは1社も買収していない。この「リバース・アクイハイア」と呼ばれる構造は、買収の便益を再現しながら実際の買収には至らないことで反トラスト審査を回避してきた。2026年2月4日、Elizabeth Warren上院議員らはFTCとDOJに対し、これらの取引を精査し反トラスト法に違反する場合は差し止めるか巻き戻すよう求める書簡を送った。FTC委員長のAndrew Ferguson氏も1月、こうした構造がHSR(企業結合事前届出)を回避していないか審査する姿勢を示している。研究者が去るのを止めず、代わりに新会社の初期投資家になるという今回の形は、まさにこの規制の視線を意識した「線の内側」の設計と読める。
VCが冷ややかに見ているのは、既存企業側の対抗策のほうだ。DeepMindはOpenAIの提示に対し、L6昇進、特別株式付与、複数年コミットメントを組み合わせたカスタムのリテンションパッケージで対抗できる。だが、スケールしたAIラボの運用要求と研究者の創業願望が衝突したとき、エクイティはもはやリテンションの道具ではなく退職交渉の材料になる。合理的な既存企業の対応は、研究者を社内に留めるために競り合うことではなく、その研究者の「次の法人」に投資することだ——という理路である。8月5日のGoogleの発表は、その理路をそのまま実行に移したものだった。
背景には資金の過剰もある。2026年上期のグローバルVC投資は5,100億ドル(約80.9兆円)に達したが、資金は狭い範囲のAI銘柄に集中している。OpenAI、Anthropic、xAIの3社だけで直近12か月に1,600億ドル超を調達した。この環境では、実績ある研究者は自らのラボを設立するほうが、企業内で昇進するより速く、大きく、そして自由である。



今後、いつ何が「計測」されるのか

短期的な焦点は、まずGeminiである。Gemini 3.5 Proは6月の一般提供目標を外し、Bloombergによればコーディング性能が期待に届かず数か月遅れている。ピチャイ氏は7月22日のQ2決算で、Gemini 4が「最も野心的な事前学習の実行」として訓練中であり、今後は月次に近い頻度でモデル更新を出すと述べた。カブクチュオール氏にとっての最初の実質的な評価は、このGemini 4の品質と出荷時期になる。2026年第4四半期から2027年前半にかけて、Gemini 4の完成度がハサビス体制からの移行を正当化できるかが問われる。
第二に、Alphabetの財務である。同社は2026年通期の設備投資ガイダンスを1,800億〜1,900億ドルから1,950億〜2,050億ドル(約30.9兆〜32.5兆円)へ引き上げた。Q2の設備投資は449億ドル(約7.1兆円)と前年同期比で倍増し、フリーキャッシュフローは2004年以来初めてマイナスに転じたと報じられている。売上は前年同期比24%増、Google Cloudは82%増、営業利益は407.7億ドル(約6.5兆円)で30%増と事業自体は好調だが、投資家が見るのは「この規模の投資が、頭脳が抜けた後も成果に変換されるか」である。10月下旬のQ3決算が最初の答え合わせになる。
第三に、IPOである。Anthropicは6月1日にSECへ極秘S-1を提出し、Nasdaqでの10月上場を目指していると報じられている。OpenAIは6月8日に提出し、9月から11月の上場が視野に入る。評価額はAnthropicが9,650億ドル(約153兆円)、OpenAIが8,520億ドル(約135兆円)とされる。ここが人材市場にとって決定的に重要なのは、上場によって従来「上場前エクイティ」という形で研究者を惹きつけてきた誘因が現金化され、同時にロックアップ明けという新たな離職の波が生まれるからだ。両社のロックアップ期限は2027年前半に集中する見込みで、次の大規模な人材移動はそのタイミングで起きる可能性が高い。DeepMindからAnthropicへ移った研究者たちにとっても、上場は「移った理由」が精算される瞬間になる。
第四に、ハサビス氏自身の動きである。同氏はIsomorphic Labsに軸足を移すと明言している。同社は2026年5月12日に21億ドル(約3,331億円)のシリーズBをThrive Capitalのリードで調達し、外部調達累計は約26億ドル(約4,124億円)に達した。Altos Labsに次ぐバイオテク史上2番目の規模である。2025年3月にはThrive主導で6億ドル(約952億円)を調達済みだった。2026年1月のダボス会議でハサビス氏は、AI設計のがん治療薬候補が2026年内に第1相臨床試験に入ると確認している(当初目標は2025年末で、1年後ろ倒しになった)。2026年2月に公表された技術レポートによれば、同社の創薬エンジンIsoDDEはタンパク質-リガンド構造予測ベンチマークで50%の精度を示し、AlphaFold 3の23.3%を上回った。腫瘍免疫領域を中心に17の創薬プログラムが進行中とされる。年末までに第1相入りが実現するか否かは、「AIが創薬を変える」という命題そのものの最初の実地検証になる。
第五に、Discovery Loopのラウンド確定と初期採用である。8月5日時点でラウンドはクローズしておらず、金額も評価額も非開示だった。同種の案件——Humans&が4.8億ドル(約761億円)を44.8億ドル(約7,107億円)で、Unconventional AIが45億ドルで、Safe Superintelligenceが当初50億ドルで——を踏まえれば、着地は数十億ドル規模になる公算が大きい。ラウンドの正式発表と、DeepMindやGoogle Brainから誰がさらに合流するかが、9月から10月にかけての最も分かりやすい指標になる。
最後に、規制である。FTCとDOJが「創業投資家+クラウドパートナー」という今回の形式をHSR審査の対象と見るかどうかは、今後1年の大型AIスピンアウト全体の設計を左右する。Warren議員らの書簡以降、この論点は法学の議論を超えて実務の設計変数になった。Googleの今回の関与形態は、その最初の大規模なテストケースになる。
Semaforが伝えたように、ハサビス氏の移行は少なくとも1年越しのものであり、押し出されたわけではない。だが、その1年の間にGoogle DeepMindはノーベル賞受賞者、Transformerの共著者、AlphaGoの設計者、Google Brainの創設者たちを次々に失った。彼らはいずれも競合か、自らのラボへ移った。「知能の問題を解き、その知能で他のすべてを解く」というDeepMindの創業ミッションは、いま創業者本人の手を離れ、そして皮肉にも、DeepMindを離れた人々によって別の法人格で並列に追求されている。シリコンバレーのVCが今回の一件から読み取った教訓は、おそらくこれに尽きる——最先端AIにおいて、資本はもはや人材を保持できない。資本にできるのは、人材が向かう先に先回りして出資することだけである。


