スライドを「書く」という発想——Marpとは何か

Marp(Markdown Presentation Ecosystem)は、Markdownで書いたテキストをそのままプレゼンテーションスライドに変換するオープンソースのツール群だ。公式サイトmarp.appはコンセプトを「直感的なMarkdown体験で美しいスライドデッキを作る」と一文で表現している。記法はCommonMark準拠のMarkdownそのもので、覚えるべき追加ルールは実質ひとつしかない。水平線---を書けば、そこがスライドの区切りになる。
たとえば次のテキストファイルが、そのまま2枚のスライドになる。
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marp: true
theme: default
paginate: true
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# 2026年度 事業戦略
第2四半期レビュー
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# 売上ハイライト
- ARRは前年比42%増
- 新規エンタープライズ契約18件

見出し、箇条書き、画像はMarkdownの標準記法で、![bg right:40%]のような画像を背景に敷くための最小限の拡張構文が加わる。フッターやページ番号、テーマ切り替えは冒頭のYAMLライクな「ディレクティブ」で指定する。ビルトインテーマはdefault、gaia、uncoverの3種類。出力先はHTML、PDF、PowerPoint(PPTX)、PNG/JPEG画像だ。すべてのツールとライブラリはMITライセンスで公開されている。
作者は日本在住の開発者Yuki Hattori(GitHub @yhatt)。GitHubプロフィールでは自らを「シニアフロントエンド開発者にして週末OSSメンテナ」と称し、GitHub Sponsorsページには2015年にMarkdownプレゼンテーションライターとしてMarpを作り始めたと記している。10年を経た現在、GitHubのエントランスリポジトリmarp-team/marpは12,199スター、npmにおけるMarp CLIの週間ダウンロードは45,178件(2026年7月9日〜15日)、VS Code拡張のインストール数は817,326件に達している。派手さはないが、世界中のエンジニアの日常業務に静かに組み込まれてきた数字だ。
なぜテキストでスライドを書くのか。理由は開発者の仕事の流儀そのものにある。テキストならGitでバージョン管理でき、差分レビューができ、CIで自動ビルドできる。デザインの微調整に時間を溶かす代わりに、内容だけに集中できる。そしてこの「テキストがソース・オブ・トゥルース」という性質こそが、後述するAIエージェントとの決定的な相性の良さにつながっていく。

エコシステムの解剖——Marpit、Marp Core、そして三つの製品

Marpは単一のアプリではなく、レイヤー構造を持つエコシステムだ。最下層にあるのがMarpit(1,354スター)で、公式には「MarkdownからHTMLスライドデッキを作るためのスキニーなフレームワーク」と定義される。MarkdownとテーマCSSを最小限の静的HTML+CSSに変換することだけに責務を絞った部品だ。その上にMarp Core(1,126スター)が載る。Marpitに絵文字対応や数式、自動スケーリングなどの実用機能を足した「バッテリー同梱版」の変換エンジンである。そしてエンドユーザーが触る製品として、コマンドラインツールのMarp CLI(3,699スター)とエディタ拡張のMarp for VS Code(2,072スター)が最上層に位置する。
この構造は2019年の全面リライトで生まれた。Marpの前身は2015年公開のElectron製デスクトップアプリ(初期名mdSlide)で、Hacker Newsで484ポイントを集めるヒットとなったが、保守性の問題から2017年に開発が停止。公式ブログ「The story of Marp Next」(2019年6月6日)でモジュール分割による再出発が宣言され、旧アプリのリポジトリは2019年9月16日にアーカイブされた。旧アプリのREADMEには、悪意あるMarkdownを開くとリモートコード実行につながり得る脆弱性があるため使用を中止し、Marp for VS Codeへ移行するよう明記されている。7,900スターを集めた人気アプリを、作者自身がセキュリティ上の理由で葬った判断は、このプロジェクトの堅実な気質をよく表している。
運営体制は今も個人OSSの範疇にある。GitHub Sponsorsの現在の支援者は20人で、ティアは月2ドル(約320円)から10ドル(約1,600円)。組織スポンサーとしてはMarkslidesが名を連ねる程度だ。評価額数十億ドルのAIスライドSaaSと比べれば、資金規模の差は文字通り6桁に及ぶ。

β版「編集可能なPowerPoint出力」の仕組みと限界

Marpは以前からPPTX出力に対応していたが、従来方式には割り切りがあった。各スライドをブラウザでレンダリングした画像を、PowerPointの各ページに背景として貼り付ける方式だ。見た目の再現性は完璧だが、受け取った側はPowerPoint上でテキストを編集できない。「上司がPowerPointで直したがる」という企業現場の最終防衛線を越えられないことが、GitHubのissue #166や#298で長年要望されてきた。
これに応えたのが、2025年1月15日リリースのMarp CLI v4.1.0で導入された実験的オプション--pptx-editableである。作者自身による実装PR #626には、動作原理が明快に書かれている。MarkdownをまずPDFに変換し、それをヘッドレス起動したLibreOfficeでPPTXに変換する、という2段階方式だ。商用サービスやサードパーティのWeb APIには一切依存せず、ローカルで完結する。したがって利用にはブラウザ(Chrome/Edge/Firefox)に加えてLibreOffice Impressのインストールが必要になる。
公式READMEは制約を包み隠さず列挙している。編集可能PPTXへの変換は通常のPPTX出力に比べて「スライドの再現性が低下する」こと、プレゼンターノートが引き継がれないこと、gaiaテーマのような複雑なスタイルでは「エラーになるか不完全な結果を出力する場合がある」ことだ。LibreOfficeを同梱しない公式Dockerイメージでは、この機能は意図的に無効化されている。VS Code拡張側でも2025年1月23日のv3.1.0から設定markdown.marp.pptx.editableで利用できるが、位置づけは同じく実験的機能である。安定版化の時期について、公式FAQや議論スレッドに具体的な言及はない。
制約の残るβ機能にもかかわらず、周辺では派生プロジェクトが生まれている。VS Code Marketplaceにはサードパーティ拡張「Marp to Editable PPTX」が登場し、.NET 10でMarp系Markdownを編集可能PPTXにコンパイルするMarpToPptxのようなコミュニティ実装もある。freeCodeCampに掲載されたワークフロー記事では、--pptx-editableの出力をpython-pptxスクリプトで後処理し、テキストボックスの幅を自動補正するテクニックまで紹介された。「Markdownで書き、最後の1マイルだけPowerPointに引き渡す」需要の根強さを示す動きだ。

Marp for VS Code——82万インストールの定番拡張

日常のスライド作成で最も使われている入口が、VS Code拡張のMarp for VS Codeだ。Marketplaceのインストール数は817,326件(2026年7月17日時点)。公式アナウンスによれば10万インストール到達が2022年2月だから、4年強で約8倍に伸びた計算になる。レビュー評価は29件で5つ星を維持している。
機能はエディタ内で完結するよう設計されている。Markdownプレビューがそのままスライドプレビューになり、編集中のカーソル位置に対応するスライドが同期表示される。marp: trueをフロントマターに書いた瞬間からディレクティブのIntelliSenseが有効になり、補完・ハイライト・ホバーヘルプ・誤記の診断が効く。エクスポートはコマンドパレットからHTML/PDF/PPTX/PNG/JPEG、そしてプレゼンターノートのテキストを選べる(PDF以降の形式は内部的にMarp CLIとブラウザを使う)。カスタムテーマは設定markdown.marp.themesにワークスペース内のCSSファイルやリモートURLを登録する方式で、チームのリポジトリにテーマを同梱すれば全員のプレビューが同じ見た目になる。
セキュリティ設計も抜かりがない。VS CodeのWorkspace Trust機構を尊重し、信頼していないワークスペースではエクスポートやカスタムテーマなどの危険になり得る機能を制限する。HTML要素のレンダリングも既定では選択的な許可リストで制御される。リリースも活発で、2025年8月のv3.3.0でノートのテキスト出力とスライドからの内容あふれを検出する実験的診断が加わり、2026年に入ってからもv3.4.0(3月)、v3.5.0(5月)、v3.5.2(7月4日)と更新が続く。
Web版エディタの現在地——公式は撤退、非公式には注意喚起

「ブラウザだけで使えるMarp」を探すユーザーは多いが、ここは注意が必要な領域だ。公式のWebアプリだったmarp-team/marp-webは、もともと2019年の時点で「技術デモ」と位置づけられていたもので、2025年1月24日に正式にアーカイブされた。現在web.marp.appにアクセスすると表示されるのは、Marp Webはすでに稼働していないという案内と、代替手段としてブラウザ版VS Code(vscode.dev)にMarp拡張をインストールする手順である。つまり公式の答えは「Web版エディタは作らない。VS Code for the Webを使ってほしい」だ。
一方、検索結果には非公式のWebエディタが複数現れる。代表格の「MarpWebEditor.app」は2024年8月にサードパーティ開発者がMarpの公式ディスカッションで告知したものだが、2025年7月24日にHattoriが公式の注意喚起を投稿した。同サービスが「© Marp team」という著作権表記を掲げているのは誤解を招くものであり、Marpチームは開発に一切関与していないこと、同じ開発者の別サービスにユーザーデータの露出につながり得る脆弱性が報告されたことを挙げ、利用は自己責任だと明言している。機密情報を含むスライド原稿を外部のWebサービスに貼り付けることのリスクを考えれば、ブラウザで完結させたい場合もvscode.dev経由が実質的な正解になる。
特に強力なCLI版——自動化パイプラインの中核

エコシステムの心臓部がMarp CLIだ。npx @marp-team/marp-cli slide.mdと打つだけでHTMLが生成され、--pdf、--pptx、--images pngと付け替えれば出力形式が変わる。変換のレンダリングエンジンにはローカルのブラウザを使い、Chrome/Edgeに加えて2024年10月のv4.0.0からはWebDriver BiDiプロトコル経由でFirefoxもサポートした。配布形態も幅広く、npmパッケージ、公式Dockerイメージ(GitHub Container Registry)、Node.js不要のスタンドアロンバイナリ、Homebrew/Scoopが揃い、2026年5月のv4.4.0ではLinux ARM64バイナリも加わった。
開発サイクルに組み込むための機能が充実している。--watchはMarkdownの変更を監視してプレビューを自動更新し、--serverはディレクトリを指定するとオンデマンド変換のHTTPサーバーになる。--theme-setでカスタムテーマCSSのディレクトリを丸ごと登録でき、--engineを使えば変換エンジン自体を素のMarpitや自作モジュールに差し替えられる。バッチ変換を並列化する--parallelは2025年1月のv4.1.0で入った。既定のbespokeテンプレートはプレゼンタービューやフルスクリーンに加え、CSSのView Transitions APIを使ったスライド遷移を備える。ビルトインの遷移エフェクトは33種類あり、カスタム遷移もCSSの@keyframesだけで定義できる。2025年10月15日にはHattoriがFirefox 144のリリースをもって「モダンブラウザの全安定版でトランジションが動作するようになった」と表明した。
リリースの鮮度はプロジェクトの健全性を物語る。2026年に入ってからもv4.3.0(3月14日、俯瞰ビュー追加とmacOS 26 Tahoe向けLiquid Glassアイコン対応)、v4.4.0(5月6日、Node.js 26対応)、v4.4.1(7月4日)と約2カ月間隔の更新が続いており、本記事執筆のわずか2週間前にも最新版が出ている。
そして重要なのは、この「コマンド一発・テキスト入出力・環境非依存」という性質が、CI/CDだけでなくAIエージェントにとって理想的なインターフェースだという点だ。GitHub ActionsでMarkdownのコミットごとにPDFを自動生成する構成は以前から定番だったが、2025年以降、その呼び出し主が人間からエージェントに置き換わり始めた。
Claude Code×Marp——テンプレート駆動ワークフローの実際

Claude CodeのようなターミナルベースのAIエージェントとMarpの組み合わせが強力なのは、両者の入出力が完全にテキストで閉じるからだ。エージェントはMarkdownを読み書きし、シェルでCLIを叩き、エラーメッセージをテキストで受け取って自己修正できる。Markdown→スライド変換ツールを比較したあるClaude Codeスキルのリポジトリは、LLM統合適性の評価でMarpに25点満点中24点という最高スコアを付けた。シンプルなCLI、テキスト入力、明快なエラーがその理由である。実務で確立されつつあるのは、次の3段階のテンプレート駆動ワークフローだ。
ステップ1: デザインテンプレートを「一度だけ」作る
最初にClaude Codeへブランドカラーや参考デザインを渡し、MarpのテーマCSSを生成させる。Marpのテーマは/* @theme corporate */というコメントで宣言された1枚のCSSファイルで、会社のロゴ配置、フォント、見出しスタイル、表紙用・セクション扉用のクラスなどをここに集約する。
/* @theme corporate */
@import 'default';
section {
font-family: 'Inter', 'Noto Sans JP', sans-serif;
background: #fafafa;
padding: 64px;
}
section.lead h1 {
font-size: 2.4em;
color: #0f3b66;
}
人間の仕事はここに集中する。生成されたテーマでサンプルデッキを何度かレンダリングし、目視で気に入るまでClaude Codeに修正させ、完成したCSSをthemes/ディレクトリとしてリポジトリにコミットする。デザイン判断はこの一度きりで、以後の全スライドが自動的に統一される。
ステップ2: CLAUDE.mdかスキルに規約を固定する
次に、プロジェクトのCLAUDE.mdへスライド生成の規約を書き込む。テーマファイルの指定、1枚あたりの文字量上限、構成パターン、ビルドコマンドまで含めるのが定石だ。
# スライド作成規約
- Marp形式。テーマは themes/corporate.css を必ず指定
- 1枚あたり本文50語以内、箇条書きは4点まで
- 表紙 → アジェンダ → 本論 → まとめ の構成
- 生成後は `npx @marp-team/marp-cli slides.md --theme-set themes -o preview/` で確認
この部分は再利用可能な「スキル」としてパッケージ化する動きが2025年末から活発だ。2026年4月公開のrobonuggets/marp-slides(264スター)は、SKILL.mdに22本のサンプルデッキ、Markdown内に埋め込むSVGチャート(折れ線・ドーナツ・ゲージ・スパークライン)、メトリクスカード、ダーク/ライトテーマとフォントペアリングまで同梱し、Claude Codeに「デザインの語彙」ごと教え込む構成をとる。freeCodeCampの記事で紹介されたOmerr/claude-skillsは/create-marp-deckというスラッシュコマンドを提供し、いきなりスライドを作らせるのではなく、まず目的・聴衆・キーポイントをClaudeが人間にインタビューしてから構成を固める4段階(Brainstorm→React→Iterate→Export)を定義した。Marpデッキの品質を採点・改善するnibzard/marp-slide-qualityのような専門スキルも登場している。
ステップ3: 生成・検証・出力のループを回す
準備が済めば、日々の利用は「この議事録から10枚のスライドをcorporateテーマで」という一言になる。Claude CodeがMarkdownを生成し、自分でCLIを実行して検証する。
# プレビュー用PNGを出して確認
npx @marp-team/marp-cli slides.md --theme-set themes --images png -o preview/
# 納品用: PDFと編集可能PPTX
npx @marp-team/marp-cli slides.md --theme-set themes --pdf -o dist/slides.pdf
npx @marp-team/marp-cli slides.md --theme-set themes --pptx --pptx-editable -o dist/slides.pptx
ここで効くのが視覚フィードバックループだ。2025年9月にエンジニアのCamron Haiderが公開した手法では、スライドを1枚ずつPNGにエクスポートしてエージェント自身に見せ、レイアウト崩れを自己修正させる。「自分の成果物をレビューする手段を与えなければ、エージェントは撃ちっ放しモードのままだ」という同氏の指摘は、この種のワークフロー全般の設計原則になった。VS Code拡張の内容あふれ診断を併用すれば、テキストのはみ出しは機械的に検出できる。さらにGitHub ActionsにMarp CLIを仕込み、Markdownのコミットごとに最新PDFを自動生成する構成(2026年4月のManav Ghoshによる解説が詳しい)まで足せば、スライドは完全に「コードと同じ管理下」に入る。
MCP(Model Context Protocol)経由の統合も進む。コミュニティ製のmarp-mcpは2026年6月8日リリースのv1.7.0でスライド作成・編集・エクスポートの12ツールを提供し、Claude CodeやCursorから構造化された操作でデッキを組み立てられる。Claude DesktopやClaude.aiで動く実験的なMarpエージェントMCPアプリも登場した。テンプレートを一度作り込み、あとはエージェントに任せる——この分業が、2026年半ばの実務的な最適解である。

シリコンバレーの反応——HNの古参ツールがKarpathyの一言で再燃した

Marpに対する英語圏エンジニアコミュニティの評価には、10年分の蓄積がある。Hacker Newsでは2016年に484ポイント(コメント95件)、2019年に194ポイント、2023年に223ポイント(コメント102件)と、繰り返しフロントページに上がってきた。称賛は一貫して「プレーンテキストでGit管理できる」「ライブプレビューが快適」「無料でMIT」という点に集まり、批判も一貫している。タイポグラフィの細かい制御を手放すことへの抵抗、数式サポートの穴、2カラムなど凝ったレイアウトにはCSSの手書きが要ること、リアルタイム共同編集がないこと。2023年のスレッドには「Marpを試したがGoogle Slidesに戻った」という声も、「数学の講義資料はずっとMarpのVS Codeプラグインで作っている」という声もあり、要するに「書ける人には最高、そうでない人には敷居がある」ツールだった。
その敷居を、AIエージェントが消した。転機のタイムラインは明確だ。2026年2月12日、Cloudflareが公式ブログ「Introducing Markdown for Agents」で「MarkdownはエージェントとAIシステム全般のリンガフランカ(共通語)になった」と宣言し、HTMLをMarkdownに変換して配信する仕組みで同じ記事のトークン数が16,180から3,150へ80%減る実測値を示した。業界メディアDigidayが直後にこの動きを解説し、Webflowではllms.txtを置くサイトが前年6月比で1,835%増えたと報じた。コーディングエージェント向け指示ファイルの標準AGENTS.mdは6万リポジトリ超に採用され、Linux Foundation傘下で管理されている。「AIに読ませ、書かせるならMarkdown」という土台が、この時期に業界の共通認識になった。
そこへ2026年4月4日、Andrej Karpathyが個人知識ベースの構築法をまとめたgist「llm-wiki.md」を公開する。素のMarkdownファイル群をClaude Codeに保守させ、人間はObsidianで閲覧するという構成の中で、KarpathyはMarpを名指しした。「MarpはMarkdownベースのスライドデッキ形式だ。Obsidianにはプラグインがある。Wikiのコンテンツから直接プレゼンテーションを生成するのに便利だ」。この一言の波及は速かった。同月にはYouTubeで「Claude Code + Karpathy Slides Just Changed Presentations Forever (MARP System)」と題した解説動画が公開され、付随リポジトリは264スターを集めた。dev.toには実装解説が並び、4月18日のHacker Newsのあるスレッドでは「Claude Codeに頼めばMarpスライドを生成してくれる」というコメントが当然の知識として書き込まれた。
興味深いのは報道の非対称性だ。TechCrunchやBloombergが巨額調達のAIスライドSaaSを追う一方、Marp自体を取り上げた大手テックメディアの記事は見当たらない。Anthropicの公式ブログ「How Anthropic teams use Claude Code」(2025年7月)にもMarpへの言及はなく、ThoughtWorksのTechnology Radar最新号(Vol.34、2026年4月)にMarpもSlidevも掲載されていない。つまりMarp×Claude Codeのムーブメントは、freeCodeCamp、YouTube、gist、個人ブログ、スキルマーケットプレイスだけで広がった純粋な草の根であり、メディアの注目と実務者の熱量が乖離した典型例になっている。

競合OSSの地図——reveal.js、Slidev、Quarto、presenterm

「コードでスライドを作る」領域には複数の有力OSSが共存しており、スター数と直近の動きを押さえると勢力図が見える(数値はいずれも2026年7月17日時点のGitHub実測)。最大手はreveal.jsの71,945スターで、2026年4月11日にv6.0.1をリリースした。作者Hakim El Hattabの収益源は有料エディタSlides.comのメンバーシップで、HTMLの表現力を最大限使える一方、記法はMarpより重い。急成長株はVue.js製のSlidevで47,694スター。作者はVitestやVueUseでも知られるAnthony Fuだ。Fuが所属していたNuxtLabsは2025年7月8日にVercelへ買収され、Fu自身もVercelに加わったが、Slidevは買収対象ではなく独立したコミュニティプロジェクトのまま、2026年7月14日リリースのv52.18.0まで極めて活発な開発が続く。ライブコーディングやインタラクティブなコンポーネント埋め込みではSlidevが最強で、Claude Code連携でも認知科学ベースのデザイン規則(1スライド6要素以内、本文50語未満、コントラスト比4.5:1など)を強制するプラグインcc-slidevのような意欲作がある。
データサイエンス・学術方面ではPositが開発するQuarto(5,840スター)が定番で、reveal.jsベースのスライドを論文・レポートと同じソースから出力できる。ターミナル内でスライドを表示するRust製presenterm(8,591スター)は2025年3月にHacker Newsで306ポイントを集めた新鋭だ。古参のpandoc(45,429スター)は--reference-docでテンプレートを当てながらMarkdownをPPTXに変換する堅実路線、python-pptxベースのmd2pptxのようなニッチツールも現役である。
この中でMarpの立ち位置は「最小の記法で、最速でPDF/PPTXに到達する」ことに尽きる。2026年の比較記事群も、インタラクティブ性ならSlidev、Web表現力ならreveal.js、配布用ドキュメントの一発変換ならMarpという棲み分けでほぼ一致している。そしてエージェントに書かせる用途では、記法が最小であること自体が精度に直結するため、Marpの割り切りが強みに転化する。

AIスライドSaaSの資金地図——Gammaの躍進、Tomeの退場、Manusの漂流

Marpを取り巻く市場環境を理解するには、VCマネーが流れ込むAIスライドSaaS側の勢力図を見る必要がある。頂点に立つのがGammaだ。2020年後半にGrant Lee、Jon Noronha、James Foxが創業した同社は、2024年2月にAccelリードでシリーズA 1,200万ドル(約19億円)を調達したのち、2025年11月10日にAndreessen Horowitz(a16z)リードのシリーズB 6,800万ドル(約110億円)を発表、評価額は21億ドル(約3,400億円)に達した。TechCrunchによれば調達額には初期従業員の株式流動化に充てる約2,000万ドル(約32億円)のセカンダリー分が含まれる。ARRは1億ドル(約160億円)超、登録ユーザー7,000万人、従業員約50人で2年以上黒字という異例の資本効率で、累計調達は約9,000万ドル(約145億円)にとどまる。2026年に入ってからは新ラウンドの発表はなく、2月に初期投資家Afore Capitalと組んだ1,000万ドル(約16億円)規模の共同ファンド、3月にデザイン資産生成の新製品「Gamma Imagine」を発表した。
対照的なのがTomeの軌跡だ。「ストーリーテリングAI」として2023年2月にLightspeedリードでシリーズB 4,300万ドル(約70億円)を評価額約3億ドル(約490億円)で調達し、累計8,100万ドル(約130億円)を集めたが、ピーク時2,000万ユーザーを抱えながらARRは400万ドル(約6.5億円)未満だったとVentureBeatは報じている。2024年4月に約20%を人員削減(Semafor)、同10月にはさらに約3分の1を削減してスライド事業からの撤退を表明し、プレゼン製品「Tome Slides」は2025年4月30日に終了した。創業者Keith PeirisとHenri Lirianiは同じ法人でAIネイティブCRM「Lightfield」を構築し、2025年11月に公開ローンチしている。なお2025年4月にAngelListが買収した「Tome」は契約書レビューのリーガルAI企業で、プレゼンのTomeとは無関係の同名別会社だ。老舗ではBeautiful.aiが2026年3月にGeneral Catalystから4,500万ドル(約73億円)を調達(累計6,130万ドル=約100億円)して健在ぶりを示し、欧州のPitchは2024年1月に創業CEOの退任と従業員の約3分の2の削減、未使用資金の投資家への返還という急旋回を経て、調査会社Sacraによれば2024年半ばに黒字化、2025年2月にARR 1,000万ドル(約16億円)に到達した。
2025年以降の主戦場は、リサーチから資料化まで丸ごと請け負う「エージェント型」に移った。元Baidu幹部らが創業したGensparkは2025年4月22日にAI Slidesを公開。調達は2024年6月のシード6,000万ドル(約97億円、評価額2.6億ドル=約420億円)、2025年2月の1億ドル(約160億円、評価額5.3億ドル=約860億円)、2025年11月のシリーズB 2.75億ドル(約450億円、評価額はCrowdfund Insiderによれば12.5億ドル=約2,000億円)と積み上がり、2026年6月17日にはシリーズB延長で1億ドル(約160億円)を追加、ポストマネー評価額26億ドル(約4,200億円)に達した。会社発表ではARRは約2.5億ドル(約400億円)。そしてManusだ。2025年3月の公開直後に世界的な話題をさらった同社は、Benchmarkリードで7,500万ドル(約120億円)を評価額約5億ドル(約810億円)で調達し、5月29日にはManus Slidesをリリース。2025年12月にはMetaによる約20億ドル(約3,200億円)での買収が明らかになった(TechCrunch/CNBC。30億ドル=約4,900億円までのレンジを報じた記事もある)。ところが2026年4月27日、中国の国家発展改革委員会(NDRC)が外商投資安全審査の枠組みでこの買収を禁止し、取引の巻き戻しを命令。CNBCは6月12日にMetaが解体作業に着手したと報じ、7月10日にはTencentが既存投資家とともに20億ドル(約3,200億円)超でManusを買い戻し筆頭株主となる交渉をFinancial Timesが報じた(Bloombergも追随)。買収発表から7カ月、地政学に翻弄されたAIスライドの旗手は宙吊りのままだ。このほか中国勢ではKunlun TechのSkywork Super Agents(2025年5月)、MoonshotのKimiエージェント機能(2025年9月)がスライド生成を看板機能に据え、インドではAccelが2025年2月に「プレゼン版ChatGPT」を標榜するpresentations.aiへ300万ドル(約4.9億円)のシードを投じた。
デザインツールの巨人Canvaも忘れてはならない。Bloombergによれば2025年8月20日の従業員株式セカンダリーで評価額420億ドル(約6.8兆円)、月間ユーザー2.4億人、年換算売上33億ドル(約5,300億円)。最大株主VCのBlackbirdはLPに対し2026年後半のIPO準備が整ったと説明しているとCapital Briefが報じた。この市場の資金総量を眺めたうえでMarpに戻ると、構図の面白さが際立つ。何百億円という資金が「AIがスライドを作る」に賭けられている一方、調達額ゼロのMarpが、エージェント時代の実務ワークフローの一角を静かに押さえつつあるからだ。

ビッグテック参入——「編集可能」を巡る2026年上半期の同時多発

2026年上半期、ビッグテック3社が申し合わせたように「編集可能なスライド出力」へ踏み込んだ。Anthropicは2025年9月9日にClaudeアプリでのファイル生成(pptx/xlsx/docx/PDF)をプレビュー公開し、10月16日発表のAgent SkillsにPowerPoint用スキルを同梱、12月にはSkillsをオープン標準化した。リファレンス実装を集めたanthropics/skillsリポジトリは公開から10カ月で161,627スターという異常な速度で普及している。公式pptxスキルの中身はMarpとは対照的で、PptxGenJSによる生成とOOXML(PPTXの内部XML)の直接操作が主軸だ。ただし品質検証の工程ではLibreOfficeでPDF化して画像に変換し、サブエージェントに目視検査させる設計になっており、Marpの編集可能PPTX出力と同じOSSが両陣営の裏方を務めている符合は興味深い。2026年5月にはClaude for Excel/PowerPoint/WordがGAとなり、Microsoft AppSource経由でOfficeアプリ内のサイドバーとして動くようになった。
OpenAIは2026年5月21日に公式アドイン「ChatGPT for PowerPoint」を発表(Engadget、Quartz)、PowerPoint内のサイドバーから編集可能なスライドの新規作成・編集ができる。7月6日にはBusinessワークスペース向けにGAとなった。Googleは2026年4月にGemini in Google Slidesの編集可能スライド生成を強化したのに続き、6月29日から単一プロンプトで「フルネイティブかつ編集可能」な複数スライドを生成する機能のロールアウトを開始した(Workspace公式ブログ)。Microsoft 365 Copilotは大企業向けアドオンが月額30ドル(約4,900円)/ユーザー、2025年12月には300席以下向けの「Copilot Business」を月額21ドル(約3,400円)で投入し、PowerPoint生成は全プランの基本機能になっている。
この流れを一歩引いて見ると、Marpの--pptx-editableが2025年1月に(LibreOffice経由の力技とはいえ)先行して到達した「Markdownから編集可能なPowerPointへ」という着地点に、2026年になって各社がネイティブ実装で殺到した構図になる。ビッグテックの解はGUIアプリ内のコパイロットであり、Marpの解はテキストとCLIだ。企業の一般ユーザーは前者に流れるが、ソースをGitで管理し、生成をエージェントに任せ、出力形式を選びたいエンジニアには後者が残る。二層構造はむしろ固定化に向かっている。

今後の展望——観測すべき日付とシグナル

Marp本体のロードマップで確度が高いのはMarp Core v5だ。2026年3月22日にHattoriが起票したissueによれば、v5ではシンタックスハイライトをHighlight.jsからShikiへ置き換え、その代償として約2MBに膨らむ依存を避けるためShiki・MathJax・KaTeXをオプション依存化し、コア単体を100〜200KB程度に絞る計画である。CLIとVS Code拡張は従来どおり全部入りで提供されるため既存ユーザーへの影響はない。リリース時期は明示されていないが、2026年の実績(3月・5月・7月のリリース)から、隔月ペースの堅実な更新が続くとみるのが自然だ。一方、編集可能PPTX出力の安定版化について公式のタイムラインはなく、READMEの「experimental」表記は2026年7月時点で維持されている。品質はLibreOfficeの変換精度に依存するため、劇的な改善よりも漸進を見込むべきだろう。
エコシステム側の変化は速い。Marp用MCPサーバーは2026年6月にv1.7.0まで版を重ね、Claude Code向けMarpスキルはスキルマーケットプレイス各所に流通し始めた。Karpathyが示した「Markdownの知識ベースからスライドを直接生成する」パターンは、gistの公開からわずか3カ月で複数の派生実装を生んでおり、この方向の定着はほぼ確実だ。リスク要因も明確で、Marpは実質メンテナ1人のプロジェクトであり、marp.appのブログは2022年から、公式アナウンスは2024年10月から更新がない。コードは動き続けるが広報は最小限という「静かな開発」が続くため、露出はコミュニティの発信量に左右される。
市場側のカレンダーには具体的な日付が並ぶ。Canvaは2026年後半のIPOが最大株主Blackbirdの説明どおり実現するかが焦点で、実現すればプレゼン・デザイン市場全体の評価軸が公開市場に持ち込まれる。TencentによるManus買い戻し交渉(2026年7月10日時点で継続中)の帰結は、AI企業のクロスボーダーM&Aの先例として業界全体が注視している。GoogleのGemini in Slidesは8月1日まで生成上限のプロモーション枠を設けており、OpenAIのChatGPT for PowerPointは8月6日まで法人向け無料期間が続く。ビッグテックの機能追加競争は四半期単位で続くだろう。そのすべての傍らで、週末メンテナの手による12,000スターのOSSが、エージェントが最も読み書きしやすい形式でスライドの「ソースコード」を握り続けている——2026年のプレゼンテーション界隈で最も痛快な光景である。