Claude Scienceとは何か — 「科学のためのClaude Code」

Claude Science(クロード・サイエンス)を一言で言えば、「科学者のためのClaude Code」である。Anthropicがソフトウェア開発者向けに提供してきた「Claude Code」が、コードを書き・実行し・デバッグする一連の作業をターミナル上の一つのエージェントに集約したのと同じ発想を、今度は生物学者や化学者、ゲノム研究者の日常業務にそのまま持ち込んだ。2026年6月30日、サンフランシスコで開かれた製薬幹部・バイオテック創業者・研究者向けのイベントで、AnthropicはこれをClaude Code、Claude Coworkに並ぶ「フラッグシップ製品」として披露した。
なぜ「ワークベンチ(作業台)」なのか。現代の研究者の一日は、驚くほど多くのツールの間を行き来することで消費されている。論文をPubMedで検索し、タンパク質構造をPDB(Protein Data Bank)で確認し、遺伝子情報をEnsemblで引き、解析コードをJupyterノートブックやRで書き、図をつくり、引用を整え、原稿にまとめる——。それぞれのツールは優秀だが、互いに分断されており、データの受け渡しや環境の再現に膨大な手間がかかる。Claude Scienceは、この「散らばった道具箱」を一つの環境にまとめ、研究の探索から解析、作図、論文執筆までを、平易な言葉での指示だけで横断的に進められるようにすることを狙っている。
抽象的な説明よりも、実際に使った研究者の記録が製品の輪郭をよく伝える。疫学研究者のJohn Drake氏はForbesへの寄稿で、自分の研究テーマである人獣共通感染症のスピルオーバー(動物から人への病原体の飛び火)について、手元に集めた6,576本の論文のうち関連する490本をClaude Scienceに読み込ませ、「この分野の研究者が実際に使っている概念や因果関係の語彙は、公式に整備された用語体系(オントロジー)にどれだけ反映されているか」を検証させた。結果は衝撃的だった。文献中で繰り返し使われている915の関係性のうち864までが標準的な参照体系に対応物を持たず、490本だけに現れた1,200の概念カテゴリーが公式スキームのどこにも存在しなかった。「私の分野のごく一部の文献に使われている作業言語ですら、公式の用語体系のおよそ4倍も豊かだった」とDrake氏は書いている。そしてこの作業にかかった費用は、わずか「26ドルとおつり」(約4,200円)だった。
重要なのは、こうした作業がこれまでは博士研究員が数週間から数か月をかけて手で行う類のものだった、という点である。Drake氏自身は「生成が安くなった今、残る仕事は判断である」と釘を刺しており、人間による検証・監査・修正は依然として不可欠だと強調する。だが、下ごしらえにあたる膨大な探索と整理を、数十ドル規模で一気に片づけられるという事実は、研究の経済性そのものを変えうる。

なぜ「新モデル」ではなく「ワークベンチ」なのか

Claude Scienceを理解するうえで最も重要な一点は、これが新しいAIモデルではないことだ。Anthropicは公式発表とTechCrunchの取材の双方で、「Claude Scienceは新しいAIモデルでも、生物学に特化したより高性能なモデルでもない。今日すでに誰もが使えるのと同じClaudeモデル(Claude Opus 4.8を含む)を、特別なアクセス権もゲートもなしに動かしている」と明言している。
これは競合との決定的な違いであり、Anthropicの賭けの核心でもある。ライバルたちは「より賢いモデル」で科学に挑もうとしている。OpenAIは2026年4月に生物学推論に特化してファインチューニングした専用モデル「GPT-Rosalind」を投入し、GoogleはAlphaFoldやAlphaGenomeという自社独自の基盤モデルを武器にする。これに対しAnthropicは、モデルの生の能力ではなく、その能力を研究の現場で実際に使えるようにする「ワークフロー」「操作レイヤー」で勝負すると宣言した。MIT Technology Reviewが指摘するように、これはClaude Codeで採った戦略——生のモデル能力そのものではなく、垂直的でワークフローに踏み込んだ製品で市場を取りにいく——を、そのまま科学に横展開したものである。
この設計思想には裏付けもある。ハーバード大学の物理学者Matthew Schwartz氏は、Claude Opus 4.5が科学プロジェクトにおいて「大学院2年生レベル」の働きをすると評した。基盤モデルが既にその水準に達しているなら、勝負を分けるのは「賢さ」ではなく「使い勝手」だ——というのがAnthropicの読みである。
提供形態・導入方法・料金体系

Claude Scienceは2026年6月30日からベータ版として、Claude Pro、Max、Team、Enterpriseの各プランの利用者に提供されている。TeamとEnterpriseでは管理者による有効化が必要となる。前述の通り専用モデルへの課金や特別なゲートはなく、既存プランの範囲内で追加機能として利用できる設計だ。アプリはmacOSとLinux上でローカルに、あるいはリモートで動作する。具体的な1シートあたりの価格や従量課金の細目は、ベータ段階では公開されていない。
導入のハードルを下げる仕組みも用意された。アカデミアや非営利研究機関向けには、研究室単位で使えるTeamプランの割引席が提供される。さらにAnthropicは、若手研究者の参入を促す「AI for Science」プログラムを立ち上げた。最大50件のプロジェクトを対象に、1件あたり最大3万ドル(約490万円)のClaudeクレジットを提供し、加えて計算資源プラットフォームのModalが1件あたり最大2,000ドル(約32万円)のGPUクレジットを拠出する。応募は2026年7月15日まで受け付け、採択通知は7月31日まで、プロジェクトの実施期間は2026年9月1日から12月1日までと定められている。当初は生物学・生物医学分野に重点を置きつつ、分野横断的なプロジェクトを募る建て付けだ。
料金の透明性という点では、Drake氏の「26ドル」の実例が示唆的である。Claude Scienceは基盤モデルの利用量に応じた課金体系の上に乗っているため、探索の規模を研究者自身がコントロールでき、小規模な検証なら数十ドル、本格的な解析でも研究費の常識からすれば桁違いに安い水準で回せる。この「実験一回あたりのコストが見える」性質は、グラント(研究助成)に縛られた研究室の予算管理と相性がよい。
60以上の科学データベースへの直結

Claude Scienceの土台は、60を超える科学専用データベースと解析ツールへの事前設定済みの接続である。汎用チャットボットに「タンパク質Xの構造を教えて」と尋ねても、学習データの記憶から曖昧に答えるだけだが、Claude Scienceは一次情報源そのものに直結し、生きたデータを取りに行く。
接続先には、タンパク質配列・機能のUniProt、立体構造のPDB、ゲノムアノテーションのEnsembl、生物学的経路のReactome、臨床的に重要な変異のClinVar、生理活性化合物のChEMBL、遺伝子発現データのGEO、そして文献のPubMedやプレプリントサーバーが含まれる。ゲノミクス、単一細胞解析、プロテオミクス、構造生物学、ケモインフォマティクスといった分野ごとに、あらかじめ道具立てが組まれている。
計算そのものを担う専門ツールも組み込まれている。目玉はNVIDIAの「BioNeMo Agent Toolkit」の統合で、GPUで加速された最先端モデルを、Claudeが呼び出せる「スキル」として利用できる。具体的には、ゲノム基盤モデルのEvo 2、生体分子間相互作用を予測するBoltz-2、タンパク質構造を予測するOpenFold3などである。研究者はこれらを個別にインストール・設定する必要がなく、平易な言葉で「この配列の構造を予測して」と頼めば、裏側で適切なモデルが起動する。
この直結性は、2025年10月20日に先行して公開された「Claude for Life Sciences」の延長線上にある。同製品は、Claude EnterpriseのスタックにMCP(Model Context Protocol)コネクターと生物医学スキルを束ねたもので、電子実験ノート(ELN)・LIMSのBenchling、単一細胞・空間解析の10x Genomics、作図のBioRender、データ共有のSynapse.org、文献のWiley Scholar Gatewayなどに接続し、後にMedidataやClinicalTrials.govも加わった。このとき名を連ねた導入企業が、Novo Nordisk、Sanofi、AbbVie、AstraZeneca、Genmabという製薬大手5社である。Claude Scienceは、この企業向けの土台を、より広い研究者コミュニティに開いた格好になる。研究者は標準の接続に加えて、MCPコネクターや再利用可能な「スキル」(SKILL.mdという説明書を含むフォルダ形式で、セッションをまたいで保持される)を自作し、自分の研究室の独自パイプラインや非公開データにも接続を広げられる。

マルチエージェントシステム — 調整役・専門家・レビュアーの分業

Claude Scienceの中核をなすのが、階層的なマルチエージェントの仕組みである。利用者が向き合うのは、一人の「汎用調整エージェント(generalist coordinating agent)」だ。プロジェクトマネージャーにあたるこのエージェントが、平易な言葉での依頼を受け取り、60以上のキュレーション済みスキルとコネクターを差配する。
作業が複雑になれば、調整エージェントは自ら下位のエージェントを生成して仕事を割り振る。ゲノム解析、タンパク質構造、化学といった領域ごとに、利用者が自作した専門エージェントを呼び出すこともできる。人間の研究チームで、主任研究者が課題を分解して各分野のポスドクに振り分けるのと同じ構図を、ソフトウェア上で再現しているわけだ。
とりわけ科学という文脈で決定的なのが、独立して並走するレビュアー・エージェントの存在である。このエージェントは生成物を一段階ずつ検証し、たどれない引用や数値、根拠のない主張、裏付けとなるコードと一致しない図を洗い出して警告・修正する。Anthropicはこれを「アクター・クリティック(actor-critic)ペア」と表現する。生成する側と批判・検証する側を分けることで、AIにありがちな「もっともらしいが誤った引用」や「検証不能な統計」が論文にそのまま入り込むのを抑えようという設計だ。
もっとも、TechCrunchはこの仕組みの限界も鋭く指摘している。レビュアー・エージェントといっても「結局は同じ基盤モデルが自分自身をチェックしているのであって、独立した真実の源泉ではない」。捏造された引用や誤りを完全に排除できる保証はなく、最終的な妥当性の判断は人間の研究者に残る。この点は、AIが生成した内容が科学文献に流れ込むことへの、より広い懸念と地続きである。

ネイティブな可視化と徹底した再現性

Claude Scienceは、科学データを「そのまま見せる」ネイティブな可視化機能を備える。生成物はテキストや汎用グラフにとどまらず、3次元のタンパク質立体構造、ゲノムブラウザのトラック、化学構造式、分子の可視化などが、環境内で直接レンダリングされる。研究者は解析結果を、専門ソフトに書き出すことなくその場で目視でき、対話の流れを止めずに次の問いへ進める。
そして、この可視化と一体で機能するのが再現性の仕組みである。Anthropicは「すべての出力が、それがどう作られたかの監査可能な履歴を伴う」ことを強調する。Claude Scienceが一枚の図を生成するとき、その図を生み出した正確なコードと実行環境、作成手順を説明する平易な文章、そして対話の全メッセージ履歴が丸ごと付随する。数か月後にその図を見返しても、入力から出力までの経路を完全にたどり直し、検証・再現できる。
再現性は「編集」の体験にも表れる。研究者が「この軸を対数スケールにして」と平易な言葉で図の修正を頼むと、Claude Science自身が裏側のコードを書き換えて図を作り直す。ボタンを探して手で操作するのではなく、意図を言葉で伝えれば、実行可能なコードのレベルで変更が反映される。さらにセッションを「フォーク(分岐)」して、元の解析を失うことなく別の条件を試し、結果を比較することもできる。再現性という科学の根幹的な規範を、ツールの設計思想そのものに埋め込んだ点が、汎用チャットボットとの本質的な違いである。
前出のアレン研究所の神経科学者Jérôme Lecoq氏は、この仕組みを使って計算論的なレビュー・パイプラインを構築した。かつて最大2年を要していたレビューが、いまや100ページを超えるものを約10件、AIが検証した引用付きで回せるようになったという。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)脳腫瘍センターのStephen Francis氏の研究室では、神経膠腫(グリオーマ)の網羅的な生殖細胞系列解析を、従来の約10分の1の時間で、独立検証済みの結果とともに仕上げたと報告されている。

計算資源の統合 — ノートPCからHPC・GPUクラスタまで

科学計算の現場では、「どこで計算を走らせるか」が常に悩みの種である。手元のノートPCで足りる作業もあれば、大学のHPC(高性能計算)クラスタや、数百基のGPUを要する重い解析もある。Claude Scienceは、この計算資源へのアクセスを一つの環境から柔軟に束ねる。
まずローカル実行として、macOSやLinuxのマシン上で直接動く。次に、SSHでHPCのログインノードに接続し、大学や研究機関の計算基盤を使える。そしてクラウドスケールでは、Modalアカウントと統合することで、必要に応じてオンデマンドでGPUを確保できる。Anthropicによれば、規模は「単一のGPUから数百基まで、必要に応じてスケールする」。しかも、新たな計算資源にアクセスする前には必ず利用者の承認を求める設計で、暴走的なコスト増を防ぐ。
この設計にはもう一つ、研究倫理・規制上の勘所がある。機密性の高いデータ——患者の遺伝情報や企業の非公開化合物ライブラリなど——は、利用者自身のローカル基盤に留めたまま処理できる。データをAnthropicのサーバーに送らずに解析を回せるため、製薬企業や医療機関がコンプライアンスを保ちながら導入しやすい。前章で触れたUCSFの生殖細胞系列解析のような、個人ゲノムを扱う臨床寄りの用途で早期採用が進んだのは、この「データを手元に置いたまま」の設計が効いている。

三つ巴の競争 — OpenAI・Google・Anthropic

Claude Scienceの登場で、「科学のためのAI」市場は明確に三つ巴の様相を呈した。注目すべきは、三社が三様の流通戦略を採っている点である。
OpenAIは2026年4月、生物学推論に特化してファインチューニングした専用モデル「GPT-Rosalind」を投入した。6月3日の更新版はGPT-5.5のエージェント的なコーディング・ツール使用能力を土台に、医薬品化学やゲノミクスといった創薬ドメインで性能を高めつつ、トークン消費をGPT-5.5比で31%削減した。バイオインフォマティクスのベンチマークBixBenchでは0.751 Pass@1を記録し、GPT-5.4(0.732)やGemini 3.1 Pro(0.550)を上回ったとされる。ただし提供形態は、資格審査と安全性レビューを課した米国の適格顧客に限る企業ゲート付きの研究プレビューで、Amgen、アレン研究所、Moderna、Thermo Fisher、Novo Nordiskなどが早期アクセス先に名を連ねる。
Googleは根本的に異なる立ち位置にある。DeepMindはAlphaFold(タンパク質構造予測)やAlphaGenome(DNA配列の機能・変異影響の予測、最大100万塩基対を読む)といった基盤科学インフラそのものを自社所有しており、競合はそれを「ツール」として使えるにすぎない。Gemini for Scienceは、こうした独自モデルを30以上のライフサイエンス系データベースと束ねて提供する。さらに姉妹会社Isomorphic Labsが、AlphaFold級の能力を製薬収益へと静かに転換しつつある。
この三者を並べると、戦略の違いが際立つ。Anthropicは、Pro/Max/Team/Enterpriseという広い定期購読層に、既存モデル上のワークベンチとして開放する。OpenAIは、専用モデルを企業ゲート付きで絞って出す。Googleは、他社が持ち得ない独自基盤モデルを囲い込む。TechCrunchは、この構図が法務・金融・エンジニアリングといった他の専門垂直領域で、AIベンダーがどう競い、どう値付けするかの「早期のシグナル」になりうると論じている。Novo Nordiskのように、AnthropicとOpenAIの双方と組んで賭けを分散する製薬企業も現れており、当面はマルチベンダーでの併用が主流になりそうだ。

シリコンバレーVCの視点 — 「biotech AIの大統合」を読む

各紙が製品スペックと三つ巴の構図を報じるなか、シリコンバレーの投資家はもう一段深い問いを立てている。「Claude Scienceは、biotechスタートアップの堀(moat)をどこへ動かすのか」という問いだ。
ヘルステック特化VCのNina Capitalを率いるMarta G. Zanchi氏は、この点を最も鋭く言語化している。Claude Science発表後、biotech AIの投資家と創業者のあいだに広がった反応は、ほぼ一様だった——「ソフトウェアは完全にコモディティ化した。防御可能性(defensibility)は、独自データセットとウェットラボへ移さねばならない」。実際、多くのVCは既に創薬を「ソフトウェア問題」として扱い、ウェットラボが立ち上がるはるか前から、機械学習と生物学を組み合わせるチームに資金を注ぎ、臨床の初期読み出しよりもモデル性能とデータの堀を評価してきた。
だがZanchi氏は、この結論は資本の流れとしては論理的でも「不完全だ」と警告する。防御の切り札として物理的なウェットラボへ資金を流し込む動きは、「高くつく罠」になりかねない。というのも、実験室サービスそのものが今後数年でクラウドAPIへと抽象化されつつあるからだ。Emerald Cloud Labのような自動化ファウンドリは、施設を所有せずともソフトウェア越しに遠隔で実験を回せる仕組みを既に実現している。物理インフラすらコモディティ化する可能性がある以上、「ウェットラボを持てば安泰」という発想は危うい、というのがZanchi氏の読みである。
さらにZanchi氏は、Claude Scienceへの初期反応そのものが「時期尚早だった」と指摘する。Anthropicはスタートアップの直接の競合ではなく、プラットフォーム=OSの構築者だからだ。伝統的なバイオテック(創薬企業)の道を歩むのではなく、次世代バイオテックがその上で走る基盤的な「操作システム」を築こうとしている。この見立てを補強するのが、製薬大手AstraZenecaによる(Claude for Life Sciences以来の)プラットフォーム採用である。「これほどの規模の製薬大手がプラットフォームを支持すれば、業界の残りは追随する」。スタートアップは、Anthropicと正面から戦うのではなく、その上に自らのサービスを築く側に回る——という構図だ。
投資の論理も反転する。Zanchi氏が今後バックする価値があると見るのは、第一に独自データ資産を持つスタートアップ、第二にシステムの中で専門的なオーケストレーション(調整)の役割を担う企業、第三に実際の価値提供で商業的な牽引力を証明している企業である。逆に、意味のある独自データを欠いた単機能のポイントソリューションは「構造的に露出している」——大きなシステムの中で明確で防御可能な役割を持つ部品へと進化するか、さもなくば陳腐化するか、という淘汰にさらされる。そして臨床試験、規制対応、保険インフラといったヘルスケアの「ラストマイル」は依然として人間が介在する領域であり、ここにこそ持続的な価値創造の機会がある、と結ぶ。
この視点は、AnthropicのファンダメンタルズがVCの熱狂を裏打ちしている事実と地続きだ。同社は2026年2月12日にシリーズGで300億ドル(約4.9兆円)を調達し、ポストマネー評価額は3,800億ドル(約62兆円)に達した。GICとCoatueが主導したこのラウンドは、前回シリーズFの1,830億ドル(約30兆円)から評価額を倍増させ、2026年最大のベンチャー投資となった。ラン・レート換算の年間収益は140億ドル(約2.3兆円)に上り、年10万ドル(約1,600万円)超をClaudeに支出する顧客は前年比7倍、Fortune 10のうち8社が顧客だという。この巨大な資本と収益の上で、Claude Scienceは科学という新たな垂直市場への布石として位置づけられる。

人材・自社創薬・IPO — Anthropicの科学への本気度

Claude Scienceは、単発の製品発表ではなく、Anthropicが周到に積み上げてきた科学戦略の一環である。その本気度を最も雄弁に物語ったのが、人材の獲得だった。
2026年6月19日、AlphaFoldの中心人物であり2024年ノーベル化学賞を共同受賞したJohn Jumper氏が、約9年在籍したGoogle DeepMindを離れ、Anthropicへ移籍すると発表した。2026年で最も注目されたAI人材の移動である。この移籍は突発ではなく、一連の科学ビルドアップの帰結だった。2026年2月2日にはアレン研究所とHHMI(ハワード・ヒューズ医学研究所)との提携を、4月には創薬関連のCoefficient Bioの買収を、5月19日にはAndrej Karpathy氏の事前学習チームへの参画を——と布石を重ねた末に、Jumper氏の移籍が来た。STATが指摘するように、CEOのDario Amodei氏自身が博士号を持つ科学者であり、この点はOpenAIのSam Altman氏との際立った対比をなす。
戦略の射程は、ツール提供にとどまらない。Anthropicは、自社で創薬研究を手がける構えも見せている。ライフサイエンス部門を率いるEric Kauderer-Abrams氏は「我々の使命は人類の長期的な幸福に資するAIを開発することであり、その最大の機会は圧倒的にライフサイエンスにある」と語る。顧みられない疾患(neglected diseases)を対象に、自らClaudeを使って創薬に取り組む「learning-by-doing(実践による学習)」のアプローチを掲げる。Amodei氏はSTATに対し、生物学の複雑さについて「それを、その複雑さのまま、より良く理解する手助けをする汎用技術になる」「うまくいくと確信しているわけではない。だが、その始まりの兆しは見えている」と、期待と不確実性の両方を率直に語った。
こうした動きの背後には、商業的な計算も透けて見える。MIT Technology Reviewは、製薬企業はアカデミアの研究者よりはるかに潤沢な予算を持つと指摘し、Anthropicが人道的な目標と並行して、IPO(新規株式公開)をにらんだ製薬分野の収益確保を進めている構図を示唆する。使命と収益、この二つを同じ製品で追う——それがClaude Scienceに込められた両義性である。

今後の展望 — いつ、何が計測されるか

Claude Scienceはまだベータ段階であり、真価が問われるのはこれからだ。今後数か月から1年で注視すべき「計測ポイント」を、時間軸に沿って整理しておきたい。
最も近い節目は、AI for Scienceプログラムである。採択通知は2026年7月31日までに出され、最大50件のプロジェクトが2026年9月1日から12月1日にかけて走る。この3か月間で、生物学・生物医学を中心とした実プロジェクトが、Claude Scienceで何を、どれだけの速さと費用で成し遂げたか——具体的な成果物が、2026年末から2027年初頭にかけて公表される見通しだ。前出のDrake氏の「26ドルで分野をマッピングした」実例が個人の逸話にとどまるのか、それとも再現可能なパターンなのかが、ここで検証される。
次に、査読論文への浸透である。Lecoq氏のレビュー・パイプラインやUCSFの生殖細胞系列解析のように、Claude Scienceを使った研究が実際に学術誌に掲載され、その再現性の仕組み(コード・環境・履歴の同梱)が査読プロセスや学術コミュニティにどう受け入れられるかが試される。同時に、TechCrunchが指摘した「自分自身をチェックするレビュアー」の限界が、現実の論文でどの程度の誤りとして表面化するか——AIが生成した引用や統計の信頼性をめぐる議論が、今後の争点になる。
競争の面では、三つ巴の各社が矢継ぎ早に動くだろう。OpenAIのGPT-Rosalindが企業ゲートをどこまで緩めるか、GoogleがGemini for ScienceとIsomorphic Labsで独自基盤モデルの囲い込みをどう収益化するか、そしてAnthropicがJumper氏をはじめとする科学人材でモデルとワークベンチの両輪をどう強化するか。Nina CapitalのZanchi氏が予見したように、AnthropicやOpenAI、Mistral、NVIDIAといったAIの巨人が、独自データを持つbiotechスタートアップの大型買収に乗り出すかどうかも、2026年後半から2027年にかけての焦点となる。「biotech AIの大統合」が本当に始まるのか——その最初の答え合わせが、これから1年のうちに訪れる。